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2015年06月05日
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テーマ:ニュース(99445)
カテゴリ:政治問題
 歴史学者で東京大学准教授の外村大氏は、戦時中の朝鮮半島からの労働者強制連行について、4月17日の朝日新聞で、次のように語っている;


 戦時中、日本に動員された朝鮮人犠牲者の追悼碑を、撤去するよう求める動きが最近、各地に広がっている。「強制的」という文字をテープで隠したり、副教材から説明を削除したりした自治体も現れた。史実に揺らぎが生じているのか。朝鮮人強制連行の歴史を追いかけて20年以上になる外村大・東京大学教授に聞いた。



 ――強制連行の歴史に長くこだわってきたのは、なぜですか。

 「どうせ韓国の味方でしょうとか、どうも『反日』らしいとか、色眼鏡で見られがちですが、私は日本近現代史の、実証を重んじる研究者です。戦前の日本帝国の実像は、裏側からのほうがよく見える。今後、日本がどんな社会をつくっていくかを考えるうえでも大切な歴史です。韓国・朝鮮人のためというより日本人自身のため、未来のために記憶し、伝えていくべきだと思っているのです」

 ――強制連行は「なかった」と主張する人がいますが。

 「とんでもない。朝鮮半島で、日本内地への暴力的な労務動員が広く存在していたことは、史料や証言からも否定しようがありません。政府は1939年から毎年、日本人も含めた労務動員計画を立て、閣議決定をした。朝鮮からの動員数も決め、日本の行政機構が役割を担った。手法は年代により『募集』『官あっせん』『徴用』と変わりましたが、すべての時期でおおむね暴力を伴う動員が見られ、約70万人の朝鮮人が主に内地に送り出されました」
 「こんな当たり前の史実が近ごろ、なぜか曲解される。誤解や間違いも目立つ。歴史家の常識と、世間の一部の感覚とが、ずれてきたように感じています」

 ――なぜ、こんなことに?

 「特に90年代半ばからですね、史料の発掘が進み、いろんな話が出てきました。朝鮮人の待遇が日本人よりよかったとか、自ら望んで来た人がいたとか。いずれも事実の断片ではあるんですよ。じゃあ暴力的な連行や虐待は例外的だったかというと、それは違う
 「事実というものは無限にあるものです。都合のいい事実だけをつなぎあわせれば別の歴史も生まれる。でも、それは『こうあってほしい』というゆがんだ願望や妄想に近い。慰安婦問題で国が直接、連行を命じた文書が出ていないことに乗じ、強制連行までも『なかった』ことにしたい人がいるのでしょう」

    ■     ■

 ――事実の断片と歴史の本筋。どうすれば見分けられますか。

 「何が一般的で、何が例外的な出来事だったかを見分けるには、幅広い史料にあたり、ミクロとマクロの両方から押さえる必要があります。日本の統治機関である朝鮮総督府の調べでは、太平洋戦争開戦前年の40年に朝鮮農村で『転業』を希望していた男性は24万人程度しかいなかった。朝鮮内部の動員や満州への移民もありましたから、その年だけでも底をつく人数です。翌年から人集めが大変になったのは疑いようがない」

 「実際、内務省が調査のため44年に朝鮮に派遣した職員は、動員の実情について『拉致同様な状態』と文書で報告しています。厚生省から出張した職員も45年1月、村の労務係の言葉として、住民から『袋だたきにされたり刃物を突きつけられたり命がけ』だと報告している。それほど抵抗が広がっていたのに、日本帝国は無理に無理を重ね、逆に動員数を増やしていったのです」

 ――そこまでして動員したのは、なぜですか。

 「政府が目指していたのは、あくまでも戦争勝利でした。そのために労働力を総動員し、石炭や食料を増産しようとした。朝鮮人の多くが投入されたのも炭鉱です」
 「炭鉱は重要産業なのに人手不足で困っていた。待遇が悪く、監獄部屋に象徴されるように労務管理も劣悪だったからです。本来なら機械化と意識改革を進めるべきでした。しかし業界は朝鮮農村の困窮や無知につけ込み、安い労働者を確保しようとした」
 「ただ、朝鮮に行政機構は整っていませんでした。識字率が低く、ラジオはおろか電気すら通っていない村々で、日本内地に渡る労働者を集めるのは非常に困難な作業だった。とにかく若い男を呼び出し、最後はトラックに押し込むような事態になったのです」
(後半は省略)


2015年4月17日 朝日新聞朝刊 13版 15ページ「(インタビュー)強制連行、史実から考える」から前半を引用

 戦争中は、朝鮮半島から労働者を大量に強制連行したという話はよく聞きますが、なぜそんなことをしたのか、どのような実態だったのか、この記事を読むとよく分かります。戦争が長引いて、本土の男性がほとんど前線に動員されたから労働力が不足したというのは一面的で、実際には召集されずに本土に残った日本人男性もいたのであったが、人件費を節約したい企業が安い賃金で劣悪な労働環境で働かせようとしていたから、日本人は誰もそんな仕事をやろうとせず、朝鮮半島から連れてくるほかなかった。しかも、希望して日本に来たのはごく一部で、大部分は「拉致」同然に強制連行したと、当時の公務員が記録しているのであるから、「強制連行」に疑問を差し挟む余地はありません。わが国の各地に建立された朝鮮人労働者の追悼碑を大事にし、このような悲劇を二度と繰り返さないための戒めとするべきです。






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最終更新日  2015年06月05日 20時53分05秒
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