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2017年07月03日
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テーマ:本日の1冊(3683)
カテゴリ:読書
歴史家の趙景達(チョキョンダル)氏が執筆した岩波新書「植民地朝鮮と日本」には、戦時下の朝鮮半島で人々がどのように労働動員され、慰安婦はどのように集められたかという問題について、次のように書かれている;


◆戦時労働動員

 一般に「強制連行」といわれる労働動員は、3つの階梯をたどっている。39年から企画院が立案した労務動員計画(42年から国民動員計画)に基づいて各年度の必要労務動員が算出され、朝鮮にも割り振られるようになった。

 これはまず、39年度分について7月4日に労務動員実施計画綱領として閣議決定された。9月から実施され、当初は「募集」方式であった。これが第一段階であるが、7月29日に内務省・厚生省が各地方長官に通達した「朝鮮人労働者募集要項」に則って行われた。総督府が指定した地域で、企業主が募集を行うのだが、「募集」といいながら、警察が割り当てた人数は強制的に供出された。第二段階は「官斡旋」で、総督府が42年2月20日に決定した「労務動員実施計画による朝鮮人労務者の内地移入斡旋要項」に則って行われた。「募集」が強制的で逃亡者が多かったため、より強制力をもたせたのが「官斡旋」である。この方式は、総督府の外郭団体である朝鮮労務協会が一元的に徴発業務を行い、村々に割り当てた人数を村落有力者の責任において有無をいわせずに徴発するものである。団体訓練をしたのちに、隊伍を組んで企業側に引き渡した。だが、逃亡がやむことはなかった。そこで第三段階として、逃亡を絶対許さない法強制が行われるようになる。44年9月から、国民徴用令による一般徴用を朝鮮でも実施したのである。面職員や警官などが駆け回って徴用を行った。だが、それでも忌避や逃亡は収まらなかった。かえって官吏への暴行脅迫などが頻々と行われるようになった。自責の念にかられた面職員が面民を率いて山中に逃れるような事態も生じている。

 結局、労務動員は計画では86万人ほどであったが、実際には66、7万人に止まった。朝鮮民衆の抵抗の強さを物語っている。とはいえ膨大な数である。彼らは当時「移入労働者」といわれ、ひとたびそうなれば、その労働と生活は悲惨であった。タコ部屋に入れられ、日本人がやらない危険な仕事をさせられた。そして、給与は強制貯金させられ、退職時まで渡されることはなかった。半数以上の者はついに給与を受け取ることなく解放を迎えている。

◆軍慰安婦と挺身隊

 日本が行った人的動員として「強制連行」と並んで悪名高いのは、日本軍慰安婦の徴集である。軍慰安所は、1932年1月の上海事変以降、設置されるようになり、大量虐殺と婦女暴行などが問題となった37年12月の南京事件以降、大量設置の時代となる。慰安婦の徴集には派遣軍だけでなく、統制面で陸軍省も深く関わった。

 朝鮮では、当然に総督府が関わったが、現地の軍慰安所の状態を把握したうえで、徴集された女子の身分証明書の発給や移送業務などに協力した。徴集に当たったのは軍から指定された業者だが、その対象となった女子は、ほとんどが20歳末満の未成年であった。性病防止の必要から処女が求められたからである。業者は、貧困農家出で教育をさほど受けておらず、就職先に窮するような娘をもっぱら徴集対象とした。女工ということで応募したという就職詐欺が多いが、人身売買もあった。また、班長・区長の説得による半強制的なケースや、巡査・憲兵による拉致も少なくない。末端公職者や官憲などは、業者と連携するケースがあったということである。「処女供出」の流言は、すでに38年頃から広まり、急遽(偽装)結婚したり、身を隠す娘が出始めていた。それでも、甘言や拉致などの「処女供出」はやまなかった。慰安婦の総数は5万人から20万人と諸説あり確定できないが、そのうち朝鮮人慰安婦は、数万人と見積もられている。彼女たちは、戦地で「性奴隷」として苛酷な労働を強いられた。

 女子は、一般の労働力としても動員された。44年2月10日、朝鮮女子青年錬成所規定が制定され、4月から皇民化教育と労働訓練が行われた。また同時に、女子勤労挺身隊の動員が始まった。やはり実質的には、「官斡旋」方式で動員された。対象者は12歳から20歳程度までの未婚者である。もっぱら日本国内の軍需工場に送られた。しかし、女子勤労挺身隊に入ったはずが、慰安婦にさせられるケースも少なくなかった。挺身隊とは男女を問わず、勤労部隊一般に使われた言葉だが、いつしか挺身隊=慰安婦と思われるようになった。44年8月23目には、日本「内地」と同時に女子勤労挺身令が朝鮮にも公布された。

(以下省略)


第7章 参考文献
尹明淑『日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦』(明石書店,2003年)
河合和男・尹明憲『植民地期の朝鮮工業』(未来社,1991年)
許枠烈(保坂祐二訳)『植民地朝鮮の開発と民衆』(明石書店,2008年)
姜徳相『朝鮮人学徒出陣』(岩波書店,1997年)
金英達『創氏改名の研究』(未来社,1997年)
金英達『朝鮮人強制連行の研究』(明石書店,2003年)
洪宗郁『戦時期朝鮮の転向者たち』(有志舎,2011年)
趙景達「「韓国併合」の論理とその帰結」(『朝鮮史研究会論文集』49,2011年)
外村大『朝鮮人強制連行』(岩波新書,2012年)
樋口雄一『戦時下朝鮮の民衆と徴兵』(総和社,2001年)
樋口雄一『戦時下朝鮮の農民生活誌』(社会評論社,1998年)
樋口雄一『協和会』(社会評論社,1986年)
朴慶植『朝鮮人強制連行の記録』(未来社,1965年)
松田利彦「植民地末期朝鮮におけるある転向者の運動」(『人文学報』79,京都大学人文科学研究所,1997年)
水野直樹『植民地期朝鮮・台湾における治安維持法に関する研究』(平成8-10年度科学研究費補助金研究成果報告書)
水野直樹『創氏改名』(岩波新書,2008年)
宮田節子『朝鮮民衆と「皇民化」政策』(未来社,1985年)
宮田節子ほか『創氏改名』(明石書店,1992年)


趙景達 略歴
1954年東京都生まれ
1986年東京都立大学大学院人文科学研究科博士課程中退
 専攻-朝鮮近代史・近代日朝比較思想史
 現在-千葉大学文学部教授
 著書-『異端の民衆反乱』(岩波書店,1998年)
    『植民地期朝鮮の知識人と民衆』(有志舎,2008年)
    『近代朝鮮と日本』(岩波書店2012年)
 編著-『比較史的にみた近世日本』(共編者,東京堂出版,2011年)
    『植民地朝鮮』(東京堂出版2011年)
    『近代日朝関係史』(有志舎,2012年)
    『講座東アジアの知識人』全5巻(共編者,有志舎,2013年~)


趙景達著「植民地朝鮮と日本」(岩波新書1463) 207~210ページから引用

 ここに書かれた事柄が、現代の歴史学の到達点であり、私たちが歴史認識を語り合う場合にも「根拠はなんだ」とか「史料はあるのか」とか、不毛な議論を避けるのに役立つのではないかと思います。





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最終更新日  2017年07月03日 21時04分28秒


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