【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

フリーページ

2024年02月13日
XML
テーマ:本日の1冊(3686)
カテゴリ:読書
歴史家で東京大学大学院教授の小島毅氏が著した「日中二千年史」(ちくまプライマリー新書)の一節に、戦前の日本を支配した「教育勅語」に関する考察が書かれている;


2教育勅語の思想背景

◆教育勅語は大事?

 さて、ここでいったん日清戦争前に戻り、明治時代の日本における中国思想の影響について述べておきましょう。一八九〇年に発布された「教育二関スル勅語」、いわゆる「教育勅語」です。今でも一部の人たちが「内容的にはすばらしいのに、戦後教えてこなかったのはけしからん」と主張しているシロモノです。たしかに、教育現場で教材には使われてこなかったため、みなさんはその名前は知っていても、読んだことがないかもしれません。

 「教育勅語」は、ひとことで言えば、皇帝を中心とする中国的な国家システムを称賛しています。幸い、二〇一七年三月一四日に松野博一文部科学大臣が「学校で「教育勅語」を教えても構わない」とおっしゃっていますので、あらためて読み返してみましょう。

 なお「教育勅語」は、本来であれば校長先生が起立して読み上げ、生徒は起立して頭を下げて聞くのが正式な学び方です。これを奉読式といいます。畏れ多くも明治天皇陛下のおことばということになっている文章だからです。ですので、生徒・児童が声を揃えて勅語を読むなどというのは、戦前なら不敬罪で捕まる行為です。「教育勅語は大事だ」と主張する人たちこそ、少しはこういう歴史を勉強してもらいたいものです。


朕(ちん)惟(おも)フニ、我力皇祖(こうそ)皇宗(こうそう)、國ヲ肇(はじ)ムルコト宏遠(こうえん)ニ、徳ヲ樹(た)ツルコト深厚(しんこう)ナリ。

我力臣民(しんみん)、克(よ)ク忠二克(よ)ク孝二、億兆(おくちょう)心ヲー(いつ)ニシテ、世々(よよ)厥(そ)ノ美ヲ濟(な)セルハ、此(こ)レ我力國体ノ精華(せいか)ニシテ、教育ノ淵源(えんげん)、亦(また)実二此にこ)二存ス。

爾(なんじ)臣民、父母二孝(こう)二、兄弟(けいてい)二友(ゆう)二、夫婦相和(ふうふあいわ)シ、朋友(ほうゆう)相信ジ、恭倹(きょううけん)己(おの)レヲ持(じ)シ、博愛衆(しゅう)二及ボシ、学ヲ修メ、業(ぎょう)ヲ習ヒ、以テ智能ヲ啓発シ、徳器(とっき)ヲ成就(じょうじゅ)シ、進ンデ公益(こうえき)ヲ広メ、世務(せいむ)ヲ開キ、常二国憲ヲ重(おもん)ジ、国法二遵(したが)ヒ、一旦緩急(かんきゅう)アレバ、義勇公(こう)二奉(ほう)ジ、以テ天壌(てんじょう)無窮(むきゅう)ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スベシ。

是(かく)ノ如(ごと)キハ、独(ひと)リ朕力忠良(ちゅうりよう)ノ臣民タルノミナラズ、又以テ爾(なんじ)祖先ノ遺風(いふう)ヲ顕彰(けんしよう)スルニ足ラン。

斯(こ)ノ道八、実二我力皇祖皇宗ノ遺訓(いくん)ニシテ、子孫臣民ノ倶(とも)二遵守(じゅんしゅ)スベキ所、之(これ)ヲ古今二通ジテ謬(あやま)ラズ、之(これ)ヲ中外(ちゅうがい)二施(ほどこ)シテ悖(もと)ラズ。

朕、爾臣民卜倶二拳々(けんけん)服膺(ふくよう)シテ咸(みな)其(その)徳(とく)ヲー(いつ)ニセンコトヲ庶幾(こいねが)フ。

明治二十三年十月三十日

御名御璽(ぎょめいぎょじ)


 御名というのは明治天皇の名前(睦仁)、御璽というのは「天皇御璽」という大きい印鑑のことです。勅語の正本には署名があり、押印されていました。

◆中国由来の「教育勅語」

 実は「教育勅語」は日本独自のものではありません。一三九七年、明の洪武帝(朱元璋)は六諭(りくゆ)というものを発布しています。「教育勅語」が発布される五〇〇年前ですね。「明の建国と明治維新の五〇〇年という差はそのまま、中国と日本における文明の成熟度の差である」というのが私の持論です。元号が一世一元になる(中国は一三六八年の明建国以来、日本は一八六八年の明治改元から)のがまさにそうですが、この勅語の例もこの持論を証明してくれています。

 六諭というのは儒教の倫理道徳を庶民に浸透させるための教訓で、清ではこれが増訂されて一六箇条になっています。では書き下し文で読んでみましょう。


父母に孝順なれ。
長上を尊敬せよ。
郷里に和睦せよ。
子孫を教訓せよ。
各々生理に安んぜよ。
非為を作すなかれ。


 江戸時代に、八代将軍・徳川吉宗は儒学者の荻生徂徠や室鳩巣に六諭の注釈を書くよう命じ、普及をはかりました。明治時代になって六諭のようなもの、つまり国民の道徳にかんする天皇の諭告(「諭吉」という字に似てますが違いますよ!)を出すべきだという議論が盛り土がり、その結果「教育勅語」がつくられたのです。たしかに勅語には六諭と似た儒教道徳を説いた箇所があります。「父母二孝二兄弟二友二夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆二及ホシ」といったあたりで、勅語擁護派の人たちが「人類に普遍的な道徳で、なんら問題ない」と言う箇所です。

 しかし、問題はなぜそれらの道徳が大事かという点です。勅語ではそうすることで一人前の「臣民」になり、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」としています。いわゆる忠君愛国です。天皇家は「天壌無窮(この宇宙とともに永遠に続く)」であるから、「爾臣民(お前たち家来ども)」はこの「皇運(天皇家の繁栄)」のために命を捨てて戦えと言っているのです。国民の生命・財産を守るためのやむをえぬ自衛戦争ではなく、日本が世界の強国であることを示すために天皇の名で行われる戦争のことです。

 明の六諭も同じです。なぜ家族や近隣と仲良くし、生業に励み、罪を犯すなといっているのか。それは明の政治秩序、皇帝制度を守るためです。君主(皇帝・天皇)が国民に対して道徳性を高めよと要求するのは、国民自身のことを思うからではなく、自分が頂点に立っている現行システムを盤石なものにしたいからなのです。「教育勅語」を「拳拳服膺(大事に守る)」することに私が同意できない理由はここにあります。

 こういうことをきちんと知らないと、一部の文言にだまされて「すばらしい」と思ってしまいます。その成立経緯を知らないと「日本に伝統的にある考え方」だと誤解してしまいます。ある人が中国を見下していても、それはそれとして思想言論の自由で容認したいと私は思いますけれど、そういう人こそ中国由来のこうした考え方を批判すべきです。本居宣長が漢詩に対して和歌のすばらしさを説いたように、中国由来の儒教的な教育勅語は日本の「国体(国のすがた)」に合わないと主張すべきです。

 もっとも、そもそも本居宣長が理想とした「物のあはれを知る心」をもつ人は、こんな肩肘張った教訓を金科玉条にしたりはしないはずです。教育勅語を信奉する人たちは、宣長のことばを借りれば「からごころ」つまり中国的な感性の持ち主だと、私は思います。


小島毅著「日中二千年史」(ちくまプライマリー新書) 「第5章あこがれから軽蔑へ-近現代- 第2節教育勅語の思想背景」から引用

 教育勅語が明治の政府によって発布されたのは1890年でしたが、それよりも500年前にすでに中国大陸で同じ内容の文章が公布されて、庶民の心得として広く宣伝されていたという、こういうことを教養として知っておくことは大切だと思います。安倍政権の時代には、関西の学園経営者が幼稚園児に「教育勅語」を暗唱させるシーンがテレビニュースで報道されて、昭恵夫人が「感動しました」とコメントしてましたが、あのような「不敬」なことは、教育勅語が「現役」だった時代を知る人にとっては「あり得ない」事態であったということも貴重な情報です。とかく「親を大切にしろ」とか「兄弟は仲良くしろ」とか聞けば、「ありがたい教え」だと思いがちですが、勅語を発布した明治天皇の「本音」は、そんなことを教えることではなく、文章の終わりにある「いざという時には、皇室を守るために命を捨てる気で戦え」を、国民の脳裏に刷り込むことであったわけで、これは別に、日本の伝統文化などというものではなく、中国では日本よりも500年も前に公布された、その二番煎じであったということを、知るべきです。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024年02月14日 08時20分08秒


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

佐原

佐原

お気に入りブログ

『クマムシ?!』(復刻) New! Mドングリさん

コメント新着

 捨てハン@ 潰れそうな新聞なら東京、朝日、毎日が挙がるかなぁ >全国紙は世論のありかを明らかにし、国…

© Rakuten Group, Inc.