|
テーマ:ニュース(99426)
カテゴリ:ニュース
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教幹部が死刑になったことに関連して、18日の東京新聞には次のような投書が掲載された;
2018年7月18日 東京新聞朝刊 11版S 5ページ「ミラー-宗教への偏見正すべき」から引用 宗教への偏見を正すべきというタイトルには賛成ですが、投書の中身を見ると独善的な持論を述べているだけのように感じられて、賛成するわけにはいかないと思いました。オウム真理教は無差別殺人事件を起こして、今は名前を変えた団体になってますが、そのことをもってオウム真理教は偽宗教と断定することはできないのではないかと思います。キリスト教や仏教にも時の権力と対立して断罪された例があるのですから、2000年後のオウム真理教が発足当初の十数年前の過ちを乗り越えて大きな宗教団体になっている可能性が、絶対ゼロだとは誰にも断言はできないのではないかと思います。 私が「宗教への偏見正すべき」というタイトルに惹かれた理由は、私も含めた現代人の多くが「宗教」に対して偏見を持っていると常々思っていたからです。それがどのような偏見かというと、「人間以上のはたらきに祈りを捧げ、自然の恵みに感謝し、食前にいただきますと一礼する」こういうことが宗教の本質だと思い込んでいる、これが「偏見」だと、私は思います。現実の宗教団体は何をやっているかと言えば、「人間以上のはたらきに祈りを捧げる」ふりをして信者からカネを集める、そのカネを元にさらに信者を増やして政党まで組織して社会の支配階級にまで上り詰めようとする、これが宗教団体の実際の姿ではないかと思います。そのような観点から見れば公明党の、安倍政権が国会でウソまでついて政治を私物化したり、大規模洪水が発生しても平気で宴会を続けてもそれでも自民党を支持し続けるという姿勢も、合点がいくというものです。 また、この投書は「高度成長期以降の日本の不幸せは、宗教を白眼視し遺棄したことであろう」とも書いています。戦後の日本人が宗教を白眼視したとまで言えるかどうか疑問ですが、仮にそうであったとしても、私はそれは人間として健全な反応だったと思います。戦前の日本人には学校教育を通して、天皇が神様で国民は神様のために命を捨てて戦うのだと叩き込まれて二百数十万人の国民が犠牲になったという経験に照らせば、二度と宗教には騙されまいという姿勢を示した日本人は立派だと思います。「人間の幸福は決して物質や経済だけでは満たされない」などと言うきれい事は、一億総中流時代のような誰もが衣食住に困らない社会で言われて初めて説得力を持つものであって、現代のように非正規社員という不安定な身分で生活費もままならい時代にあっては、貧乏でも文句を言うなという、待遇改善を訴える労働組合活動を封じ込める殺し文句のようなもので、嫌われるのは当然です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年07月23日 01時00分10秒
[ニュース] カテゴリの最新記事
|
|