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2018年08月12日
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テーマ:ニュース(99797)
カテゴリ:ニュース
去年の3月に新泉社から刊行された「<戦後>の誕生」という本は2013年に韓国の日本研究者が戦後の日本人の歴史認識を分析・研究した論文をまとめたもので、日本語版が出版されたときは、東京外国語大学名誉教授の中野敏男氏が、次のような「解説」を書きました;


 2013年4月に韓国で初版が出された本書が、日本語に翻訳されて日本の言説空間に提供されるというのは、「日本の戦後思想」を主題とする書物として、韓国語版刊行とは異なるこれはこれで独自な意味を持つことになるだろう。ここでは、その点について考えておきたい。


 2015年、「日本の戦後」が70年をすぎたその夏、この国は、その「戦後」が維持してきたはずの「平和と民主主義」をめぐって大きく揺れ動いた。極右路線を進む安倍晋三政権は、「戦後レジームからの脱却」を掲げつつ、大多数の憲法学者が違憲と指摘する安全保障関連法の成立を急ぎ、これに「戦後平和主義」の危機を感じた多くの人びと/国民が国会周辺に集まって反対の声をあげた。それを巨大与党の多数により押し切って実行された法案の強行可決は、「戦後日本」の「平和と民主主義」を破壊する暴挙とされ、その核にある日本国憲法とそれに基づく立憲主義は大きく損傷したと受けとめられている。そして2016年になって、安倍政権は参議院議員選挙に勝利し、改憲勢力は両院で3分の2を占めることになって、憲法改正もいよいよ現実味を帯びてきている。確かに、今や「戦後日本」は重大な曲がり角に立っているように見える。まさにこのようなときに、本書『<戦後>の誕生』は日本語版として登場している。

 すると、ここで曲がり角が意識されている「戦後日本」とは、そもそも歴史的にはどのような時代として今のこの日本で理解されているのだろうか。ここで「曲がり角」とは、如何なることなのか。それを考える手がかりとして、ここでは2015年の夏に発表された2つの戦後70年談話に注目してみよう。一つは、安倍政権がその8月14日に発表した「内閣総理大臣談話(安倍談話)」であり、もう一つは、この年の安保関連法案反対運動のシンボルともなった「自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)」が9月2日に発表した「戦後70年宣言文」である。これら二つは、安保関連法をめぐる賛否の両極にあって、この年の安保論議が足場を置いている歴史認識の地平を示すものと考えられるからである。

 これらの「談話」と「宣言」は、もちろん議論の的である日本の安全保障政策については対極的な立場に立っているとまずは見てよいだろうが、よく読むと日本の「戦時」と「戦後」に関わる歴史認識については一定の共通性があると認めることができる。その「戦時」について、両者は次のよう仁記述している。


◎「安倍談話」
満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

◎SEALDs「戦後70年宣言文」
満州事変に端を発する先の戦争において、日本は近隣諸国をはじめとする多くの国や地域を侵略し、その一部を植民地として支配しました。多くの人びとに被害を及ぼし、尊厳を損い、命を奪いました。


 前者の安倍談話は、近代日本の歩みについて独善的な自己賛美と歴史歪曲に満ちていると言わざるをえないものだが、それでもこの部分だけは少しは戦争の過誤を意識し、それへの「反省」らしき表現も見えないわけではない。とはいえここで注意すべきは、その戦争への「反省」が「満州事変」(1931年)以後に時期を限定していることだろう。すなわちここでは、沖縄、台湾、朝鮮、南洋諸島へとそのときにすでに進んでいる植民地支配の拡大、それゆえつねに戦争の原因ともなっている近代日本の帝国主義と植民地主義の歴史は、その基部が見過ごされていると見なければならないのである。と考えると、安保関連法に反対して政治的立場をまったく異にすると見られる後者のSEALDs宜言文でも、そうした歴史への視野狭窄は実は共通しているとわかる。ここに近隣諸国への加害についての言及、「侵略」と「植民地として支配」という文言は確かにあるのだけれど、前者と同じく、近代日本の帝国主義と植民地主義の歴史についてはその実質が充分に見通されているとは言いがたい。

 それに気づかされて、あらためて「戦後日本」における戦争の語りを振り返って考えてみると、ここに垣間見えている問題は実はかなり根深いと認められる。戦後日本で「戦争」と言えば、確かに、敗戦直後は日米戦争ばかりが「太平洋戦争」と名づけられて語られていたのだったし、やがてアジアに目が向いても、「満州事変」以後にその意識は限定されていて、その範囲で「十五年戦争」とか「アジア・太平洋戦争」とかが語られてきたのだった。「満州事変に端を発する」とする戦争の時代のこの区画は、なにも2つの談話にだけ特別なことなのではなく、むしろ戦後日本に通用してきた平均的な共通了解だったと言えるのである。この戦後日本の共通了解が、戦後70年に際して対極的な立場から発表されたはずの二つの談話をその基底で繋いでいる。

 そのように理解してみると、先に見た「今や『戦後日本』は重大な曲がり角に立っている」という現在に関わる認識は、それを表面的に捉えてしまうなら、実はかなり危うい落とし穴のあるものだとわかってくる。というのも、「戦後」を「脱却せよ」、あるいは「護れ」という表層に現れた二者択一の対立的主張が、その前提にある「戦後」そのものへの問いを見失わせてしまう可能性があるからである。その「戦後」という時代の共通了解、あるいは、そもそも「戦後」というその時代把握にこそ実は問題があって、いま問かれねばならないのは、この「戦後」という時代そのものなのではないかということである。

 そう問いが立て直されると、まさにこのときに、その当の日本の「戦後」を問う本書『<戦後>の誕生』が日本語版となって日本の言説空間に提供された意味が、あらためて深く感得されると思われる。本書の編者である権赫泰は序章で、「日本の『戦後』は『朝鮮』の消去の上にある」と、「本書の問題意識」を端的に述べている。これは確かに、ここで見てきた「戦後日本の共通了解」の問題点、その核心に突き剌さる指摘であろう。「『朝鮮』の消去」というのは、まさにいま「戦後平和主義を護れ」という声によってすら反復されかねない植民地主義の歴史の消去のことに違いないからである。
(後半省略)


権赫泰、車承棋編「<戦後>の誕生」(新泉社刊) 310ページ 「解説『<戦後>の誕生』日本語版に寄せて」から冒頭部分を引用

 この本は7本の論文を掲載しており、戦後の日本人の思考様式が韓国の研究者にはこういうふうに見えていたのかということがよく分かる、大変興味深い本ですが、中野先生の解説も非常に示唆に富んでいると思います。安倍首相の「戦後70年談話」が独善的な自己賛美と歴史歪曲に満ちているとか、リベラルな立場から出されたSEALDsの「宣言」も安倍談話と対立するように見えて実は共通する部分があるという指摘は、意味深長と思いました。





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最終更新日  2018年08月12日 20時59分11秒


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