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2018年09月24日
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テーマ:ニュース(99430)
カテゴリ:ニュース
自民党の杉田水脈議員が「新潮45」という月刊誌に投稿して「子どもを産まないLGBTに税金を投入するのはムダ」という主張をしたために、差別発言に反発した市民団体が連日自民党本部に抗議デモをするなど大きな騒ぎになったのであったが、月刊「創」の編集長・篠田博之氏は、この件について同誌10月号に次のように書いている;


「LGBTには生産性がない」とする杉田水脈議員の発言が大きな社会的批判にさらされた。掲載したのは『新潮45』だが、これは同誌がネトウヨ路線に舵を切りつつあることと無関係でない。


◆杉田発言が掲載された『新潮45』の誌面

 『新潮45』9月号を見て、半分ホッとして半分残念に思った。この号の特集は「『茶の問の正義』を疑え」。いいタイトルだ。この雑誌はこんなふうに、常識であるかのように流通している見方に対してちょっと異論を提示するというスタンスをとってきた。

 例えば特集の1本目が「裏口入学、何が悪い」だ。東京医科大の裏口入学騒動が社会的話題になっている時に、敢えてこのタイトルである。新聞・テレビのような王道系メディアと違って雑誌は、基本的にゲリラである。時には敢えて異論を提示して問題提起を行うのも大事な機能といえる。『新潮45』を見てホッとしたというのは、本来のこの雑誌らしい誌面に戻ったという印象を受けたからだ。

 実はこの前の8月号には、大きな社会的問題となった杉田水脈議員の論考「『LGBT』支援の度が過ぎる」が掲載されていた。LGBTに対して「『生産性』がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」という記述が大きな反発を招き、全国でデモが行われたのは記憶に新しい。

 同誌が杉田議員の論考を載せるのはこれだけでなく、この間、何度もある。掲載された署名記事と編集部の考えはもちろんイコールではないが、杉田議員の論考を敢えて載せるというのも、編集方針によるものなのだろう。

 この半年ほどの同誌の特集を見ると、いわゆるネトウヨと呼ばれるような論者を多用し、いわば『月刊Hanada』や『WILL』の路線に大きく舵を切っているのは明らかだ。その意味では、同誌に杉田議員のこういう論考が載っだのは、編集方針と無関係ではない。

 あれだけの大騒ぎになったのだから、本当はそれについてこの9月号で少し報告をしてほしいと思った。それを通して編集部がその問題についてどう考えているのかというスタンスもわかる。しかし、9月号では全くそのことに触れていなかった。意図的にそうしたのだろう。それもひとつの考え方だとは思う。ただ読者としては少し残念だなと思った。

 杉田発言が差別的だとして大きな騒動になっている過程で、それが『新潮45』に掲載されていたことを問題にした報道はほとんどなかった。かつて差別表現への糾弾が激しかった頃は、掲載媒体の責任も同時に問われるのは普通だった。

 例外的だったのは、8月7日付の朝日新聞が「杉田水脈氏寄稿、出版社の責任は」という記事を掲載したことだ。掲載した『新潮45』の責任を論じたものだ。

 この朝日新聞の記事については私も結構、長時問の取材を受けた。でも紙幅の都合で、話した内容の一部のみがコメントとして使われただけだった。そこで本稿では、杉田発言と『新潮45』について少し書いてみようと思う。

◆青木理さんが「正真正銘の阿呆」と酷評

 その話に入る前に、今回の杉田論文についての感想を書いておけば、ひどいとしか言いようがない。自分の信念から何かを論じるのは自由だが、右とか左とか言う以前に、日本においてこれまで例えばゲイがどんなふうに差別を受けてきたかといった歴史的経緯をほとんど知らないのではないかと思わせる内容だ。圧倒的多数の議席を確保している今の自民党は、こういう人でも国会議員になれてしまうんだという驚きを最初に感じた。

 その内容の問題点は多くの論者が指摘しているから割愛しよう。例えば『週刊現代』8月11日号では青木理さんがこう書いている。「これほど常軌を逸した正真正銘の阿呆が国会議員を務めていることに心底唖然とした」

 それよりも今回の一件で感じたのは、この杉田論文への批判が予想以上の大きな社会的動きになったことへのいささかの驚きだった。それは日本社会においてマイノリティの存在や権利を認めようという流れがそこまで広がっていることの反映だ。かつて「アカー」(動くゲイとレズビアンの会)などの団体が、週刊誌などのゲイ差別にコツコツと抗議を繰り返していた時代に比べると、大きな社会的変化と言わねばならないだろう。

 それはよいとして、問題の杉田論文「『LGBT』支援の度が過ぎる」だが、これは「日本を不幸にする『朝日新聞』という特集の中の1本だ。LGBTには「『生産性』がないのです」という一節のみが問題にされてしまったが、論考自体は、朝日新聞に象徴されるリベラル派が多様性や少数者の権利を主張することを行きすぎたと批判したものだ。

 杉田論文はたまたまその号に掲載されていたわけでなく、同誌が今年に入って加速させているリベラル叩きの中で登場してきたものだ。朝日新聞が杉田論文を載せた同誌の掲載責任に言及しようとしていたのも、背景にそういう問題があるからだろう。

 特に今年に入って、『新潮45』は、その方向に大きく舵を切っている。2月号「『反安倍』病につける薬」、4月号「『朝日新聞』という病」、6月号「朝日の論調ばかりが正義じゃない」、7月号「こんな野党は邪魔なだけ」、そして8月号の「日本を不幸にする『朝日新聞』」だ。簡単に言えば、『月刊Hanada』『WILL』の右派雑誌の後追いを意識的にやっているのだ。ここへ来て大きく舵を切ったのは、雑誌市場全体が苦境に立たされている中で、その路線に生き残りを賭けようとしたのだろう。

◆生き残りを賭けてネトウヨ路線に転換?

 そもそも元『週刊文春』編集長の花田紀凱さんが創刊した『WILL』が分裂して『月刊Hanada』と2誌体制になった時に、ネトウヨ系とも言われるその市場が2誌の存在を許すほどの規模を持っているのかと言われたものだが、現状においては2誌が存立し、その市場はむしろ拡大しているような印象さえある。安倍政権のもとで日本の言論界は急速に右へと軸足を移しつつあるのだが、それに伴って新たな言論市場が拡大しているのだ。

 『新潮45』はそれを見ながら、その市場はもう少し拡大の余地があるのではないかと推測し、そこに相乗りすることを生き残り策として選んだのだろう。この何力月かの誌面を見ていると、先行2誌とそっくりというか、「一番煎じの道を敢えて行く」という意識が感じられる。

 ただ古くからの読者として残念なのは、花田さんには誌面への評価は別にして、新たな市場を作り出そうというパイオニア精神のようなものがあったのだが、『新潮45』の後追い路線には、その気概が希薄なことだ。先行2誌は、露骨に安倍首相を持ち上げるわ、東京新聞の望月衣塑子記者を私怨まじりに毎号叩くわ、と、まさにネトウヨ路線をそのまま紙媒体に持ち込んだような印象なのだが、新しいことに取り組もうという意識が多少感じられる。しかし、『新潮45』は、偏見かもしれないが、「二番煎じ」感が否めないのだ。

 だから読者の一人として提言するならば、どうも今の『新潮45』の路線は、うまくいかないような予感がしてならない。そこへ案の定というか、今回の騒動だ。

 今回の騒動は、TOKYO MXが「ニュース女子」事件で足をすくわれたのとよく似ている。MXも後発で新しいことにチャレンジしない限り生き残れないと、ゲリラ性やタブーに挑戦といった方針を掲げ、その挙句に手を染めてしまったのが「ニュース女子」の「沖縄ヘイト」番組だった。激しい社会的批判を浴びて、同番組を以後、放送しないとしたものの、あの騒動で同局の被ったイメージ悪化は相当なものだった。何やら今回の『新潮45』はそれとよく似ているのだ。

 この半年であれだけ急激に誌面の舵を切ったのは、それなりの覚悟を決め、そのくらい思い切ったことをやらないと生き残れないと考えたからだろう。先行2誌のマーケットの分析もそれなりにやったはずだ。

 でも『新潮45』というのは、かつてのノンフィクション路線もそうだし、もう少し独自の路線で評価を得てきた雑誌だったはずだ。今のような路線で本当によいのだろうか。新潮社といえば、ノンフィクションにおいてもそれなりの伝統を誇ってきた出版社だから、今の『新潮45』の方針については、社内でもいろいろな見方が出ていると思う。今回の騒動を機に、今の路線について、もう一度検討してみてはどうだろうか。

◆雑誌ジャーナリズムが岐路に立たされている

 新潮社の看板雑誌『週刊新潮』もまた、今年に入って大きな誌面転換を図りつつある。これについては本誌9月号に「『週刊新潮』キャンペーンに『週刊文春』が異議申し立て」という記事を書いた。

 「食べてはいけない国産食品」キャンペーンがようやく一段落して従来の誌面に戻ったとホッとしていたら、今度は「食べてはいけないペットフード」キャンペーンが始まって思わずずっこけた。

 事件ものや政治スキャンダルを得意としてきた『週刊新潮』も、生き残りを賭けて新たな路線に挑戦しようとしているわけだ。『週刊朝日』など、最近は本当に健康雑誌になりつつあるし、総合週刊誌全体として岐路に立たさされているのは明らかだ。

 私は『週刊朝日』も好きな雑誌だったから、最近の変貌ぶりには正直言って残念な思いを禁じえない。それと同じような意味で、この間の『新潮45』の路線には、そのまま突き進んで大丈夫なのかという危惧を持たざるをえない。

 世の中にきな臭い雰囲気が蔓延すると、ジャーナリズムがそれに合わせて右旋回するという風潮は歴史上何度も繰り返されてきた。

 かつてジャーナリズムといえば反権力が当たり前で、新たな政権が誕生すれば週刊誌が競って権力トップのスキャンダルを取材し報じたものだ。しかし今やそういう空気そのものが希薄になりつつある。

 雑誌ジャーナリズムは本当に難しい局面に至っている。


月刊「創」 2018年10月号 94ページ「杉田水脈差別発言掲載『新潮45』への危惧と提言」から引用

 杉田議員のLGBT差別発言は議員辞職に相当する重大な事案であるが、自民党は安倍一強体制にあぐらをかいて、同議員を処分しようともしていない。月刊「創」に篠田氏が上の記事を掲載した翌週くらいには「新潮45」10月号が発売になり、そこには「そんなにおかしいか 杉田水脈論文」という特集が組まれていて、世間はあきれ果てたのでした。そこには杉田議員を擁護する記事が6、7本掲載されていて、小川栄太郎という評論家は「LGBTの権利を擁護するなら、痴漢が女性に触る権利も認めるべきだ」というような、トイレの落書きレベルの主張で、いくら一雑誌の編集の問題とは言え、トルストイや漱石のような格調高い文学出版を担ってきた新潮社が、このような低俗出版を容認するのはおかしいのではないでしょうか。新潮社の社会的責任が問われると思います。





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最終更新日  2018年09月24日 01時00分08秒


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