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2019年07月27日
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テーマ:ニュース(99768)
カテゴリ:ニュース
大阪府堺市にある大山古墳が世界遺産として登録されることに関連して、考古学者の松木武彦氏は3日の東京新聞で次のように述べている;


 宮内庁が仁徳天皇の墓として管理する「大山(だいせん)古墳」(大阪府堺市)が今月、世界文化遺産になる見通しだ。国連教育科学文化機関(ユネスコ)諮問機関が登録を勧告した大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」の1基で、登録名は「仁徳天皇陵古墳」の見込み。だが、考古学界では東北から九州までの権力者たちを率いた「大王」の墓だとされ、誰の墓かは議論が分かれる。天皇の墓として世界に発信されていいのか、2人の考古学者に聞いた。
(小佐野慧太)

◆実在か分からない人物

――仁徳天皇陵古墳としての登録をどう思うか。

 仁徳天皇は、日本書紀では140年以上も生きたとされる伝説の人物。実在したかは分かりません。大山古墳を仁徳天皇陵として世界に発信するのは、考古学的にはふさわしくない。

 考古学の蓄積がない幕末から明治時代にかけ、天皇や皇族が葬られている古墳が決められました。間違いは多いのですが、宮内庁が戦後に誤りを認めたことはありません。


――大山古墳は今の天皇につながる大王の墓なのか。

 古墳が大きいから大王の墓だ―とも言い切れない。古墳群は、その地域を拠点とした血縁集団のまとまりが存在したことを表すので、大阪平野の有力な権力者の墓だとは言えます。

 また、大王と天皇とは分けて考えるべきです。古墳時代には「万世一系」の言葉でイメージされる一つの大王の家系を中心とする王朝はなかった。奈良盆地や大阪平野に存在した複数の血縁集団の権力者が、大王の地位を争っていました。


――宮内庁が管理する古墳は謎だらけということか。

 一部の出土品などは公になっていて、世間で言われるほど謎ではない。「天皇家が朝鮮半島から来たという秘密が眠っている」などという俗説を裏付ける証拠は出てこないでしょう。

 だが、研究者でも限られた条件の下での立ち入りしかできない。古事記、日本書紀などの文献だけから墓の主を考えると矛盾が生じる。真実を明らかにするため、将来的に発掘ができるよう宮内庁に望みます。


 <万世一系(ぱんせいいっけい)> 古事記、日本書紀が初代天皇とする神武天皇以来、日本は外国と違って王朝の交代がなく、一つの血統によって天皇が継承されてきたとする考え。明冶時代から、元首である天皇の正統性を根拠付ける言葉として使われた。戦後には、墓の場所が変わる応神天皇、継体天皇などの時代に王朝の交代があったのではないかとする説が唱えられた。「天皇」の呼称は7世紀に初めて使われたとみられるため、考古学では出土品の刀剣銘文などに基づき、古墳時代の最高権力者を「大王」と呼ぶ。

 まつぎ・たけひこ 愛媛県生まれ。岡山大教授を経て国立歴史民俗博物館教授。「列島創世記 旧石器・縄文・弥生・古墳時代」でサントリー学芸賞。著書に「未盗掘古墳と天皇陵古墳」など。57歳。


※記事には、近つ飛鳥博物館名誉館長・白石太一郎氏の発言も記載されてますが、こちらは割愛しました。


2019年7月3日 東京新聞朝刊 12版 3ページ 「世界遺産『仁徳天皇陵』で適切か」から一部を引用

 この記事からは色々と学ぶことがあります。「仁徳天皇」は実在の人物であることが確認されていないこと、大きな古墳だからといって天皇陵であるとは限らないこと、万世一系とは明治時代になって政府が天皇を権威づけるために言い出したことであって、それ以前の日本人の価値観には無かった「新しい」概念であり、日本古来の伝統文化ではないことなど押さえておくべきポイントです。





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最終更新日  2019年07月27日 01時00分06秒


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