市長選挙の公約に掲げた「あらゆる差別をなくす条例の制定」を、その通りに実現した川崎市長の福田紀彦氏は、8日の朝日新聞で次のように述べている;
川崎市は昨年末、公共の場で特定の民族を侮辱するなどのヘイトスピーチに対する刑事罰を盛り込んだ差別禁止条例を初めてつくりました。
市は人口153万人。うち外国人が3%近くを占める「多文化共生」の街です。京浜工業地帯を支える多くの労働者が流入してきたことが背景にあり、市民はこの多様性を誇りとしてきました。
でも、いつしかこの多様性がヘイトのターゲットとなり、表玄関であるJR川崎駅前でデモが頻繁に行われるようになりました。抗議運動も過激さを増し、異常な事態に陥りました。
私は2017年の市長選で、あらゆる差別の根絶を目指す条例の制定を公約の一つに掲げ、再選しました。差別を許さないという姿勢を示す意味で、私は厳しい規定が必要だと考えていましたが、実際の条例づくりは、簡単ではありませんでした。
最大のせめぎ合いが、表現の自由との兼ね合いでした。「どうすれば自由を過度に制限せず、ヘイトスピーチを排除できるか」について、弁護士や専門家の助言をもらいながら条文案を練りました。ヘイトスピーチを3度繰り返した場合に告発する▽有識者でつくる審査会の意見をその都度、聴く▽罰則の対象となる行為の類型や手段を明確にする、といった規定を盛り込み、なんとかぎりぎりの線を確保できたと思います。
ヘイトスピーチは犯罪であり、絶対に許されないのが大原則です。一方で、表現の自由も大切な権利です。これからつくる条例の解釈指針で、どういう表現がヘイトスピーチにあたるのかを具体的に示すことで、両者の境目をできる限り明確にしていきます。
想定外だったのは、一部会派から「日本人に対するヘイト」への対応を求める付帯決議案が出てきたことです。条例素案へのパブリックコメントでも、「外国人へのヘイトのみを刑事罰の対象にするのは日本人差別だ」といった意見が寄せられました。圧倒的多数派である私たち日本人に対する差別という考え方が出てくることは、この国の深刻な分断を物語っているように思います。
なぜヘイトスピーチが生まれるのでしょうか? 思想の問題なのではなく、社会に対する不安や不満が根っこにあるからではないでしょうか。
地域社会から隔離され、誰からも声をかけられない。引きこもり、障害者、外国人、独り暮らしの高齢者……。こうした人を支援して地域社会に居場所をつくらなければ、社会の分断と格差はますます広がるでしょう。
自治体の役割は小さくありません。住民と連携して、誰も置き去りにしない取り組みを通じ、分断の流れに大いにあらがおうと思います。
(聞き手・大平要)
<福田紀彦>1972年生まれ。松沢成文衆院議員(現参院議員)の秘書、神奈川県議を経て2013年に川崎市長。現在2期目。
2020年2月8日 朝日新聞朝刊 13版S 15ページ 「耕論 ヘイトの境目-思想ではなく不安が根に」から引用
川崎市長の福田氏は、罰則付きのヘイトスピーチ禁止条例案を審議中に、「日本人に対するヘイト」にも対応が必要だなどと言い出した議員がいたことを「想定外」だったと述べている。川崎市内のヘイトスピーチの酷さを見れば、まさか、そんな非常識な発想が出てくるとは夢にも思わなかったことでしょう。同じように川崎市政に携わっていながら、このような認識の差が出てくるのは、やはり日頃の政治姿勢が影響するのかも知れません。圧倒的な多数派から少数派へのヘイトスピーチは、直ちに人権侵害に結びつく危険があるから法律で規制する必要があるのであり、その逆で、少数派が圧倒的多数派にヘイトスピーチを投げつけたところで、そんなものはその場限りで終わりで、痛くもかゆくもないものであり、それは単なる「嫌悪の表現」に過ぎず、条例反対派が珍重する「表現の自由」の範囲内であると言えます。