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2024年04月19日
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テーマ:ニュース(99636)
カテゴリ:ニュース
市民団体「市民の意見30の会・東京」が発行している機関誌「市民の意見」に「シリーズ・教科書問題」を連載している琉球大学名誉教授の高嶋伸欣(たかしまのぶゆき)氏は、この度、広島市で職員研修の教材に「教育勅語」の一節を使用したり、新規採用の職員に書かせる「宣誓書」に「憲法順守義務」の項目が欠落していたり、その「宣誓書」が他の自治体とは違って市民がインターネットで閲覧できない状態になっているという「非常事態」であることについて、予定を変更して、次のような緊急原稿を寄せている;


 今回は緊急な話題の問題提起をシリーズの「番外編」として、お届けする。

 シリーズ(1)では、教育勅語が戦前戦中の国内外に惨禍を及ぼす要因となった経過をまとめた。さらに、戦後もその悪影響が、「日の丸」への過度な敬意強調などに残っているとも指摘した。

 ところが、最近になってその程度の指摘では済まされない事態の存在が発覚した。松井一実・広島市長が新採用職員の研修で講話をし、そこで教育勅語の一部を再評価していた。しかも、勅語の道徳の項目(徳目)部分にある「爾(なんじ)臣民(しんみん)」も引用して、「生きていく上での心の持ち方」の一つと強調していた。

 松井氏はこの講話を市長に当選した翌年の2012年から毎年繰り返してきた。だが昨年12月11日に問題視する報道がされるまで、これらの事実が市役所外には知られていなかった。つまり、広島市役所職員からの内部告発は皆無だった。また、市役所内で市長に異議を唱えた者が皆無だった、と市長が認めた。

 この件が発覚以後、批判・抗議の声が市の内外から多数寄せられている。だが松井氏は全く意に介していない。今後も職員研修等で同様の講話を行なうとしている。松井氏の任期は2027年4月まである。この講話が今後も継続され、同調する動きの拡大が懸念される。

 「番外編」として、緊急の問題提起を目指す理由がここにある。

◆勅語の徳目を「心の持ち方」に

 焦点となっている講話の教育勅語に関わる部分は、受講者に配布された紙資料に明示されている(次頁図版参照)。それにより、徳目部分の「爾臣民 兄弟に 友に」云々など一部分を抜粋したのだと読める。

 ただし、資料ではこれら引用部分の上に「5 生きていく上での心の持ち方」「(1)我々の先輩が作り上げたもので良いものはしっかりと受け止め、また、後輩に繋ぐ事が重要」との見出しが付されている。市職員たちに、これら徳目を心構えとするように諭している形だ。

 さらに、引用該当部分の英語訳を上に、日本語の原文を下に配置した形で示している。こうしたのは「(原文が)漢文調で書いてあるから、逆に分からないから英文の方でいくと、むしろ読みやすいものになっている」からだという(12月19日「記者会見」での発言。広島市役所の電子版記録による。以下同じ)。

 市の職員にはこの程度の漢文調の日本語資料を、「分かりにくい」だろうと、市長が判断したことになる。厚生省官僚時代にロンドンの日本大使館に書記官として出向した体験から、英語が堪能であることゆえの判断か。この間の記者会見などの様子をみても、松井市長の上から目線の応答、横柄に聞こえるもの言いが散見される。そうした姿勢が、「心の持ち方」説諭という思い上がりや、勅語解釈賛美の独りよがりを恥じない言動を生んでいるかのようだ。

 松井氏は引用した徳目を「実は民主主義的な発想の言葉」で、「今の時代にも当てはまる」とし、「勅語を全否定したのは誤りだ」と主張している。そこに目新しさはない。田中角栄、福田赳夫それに森喜朗各氏が首相在任中に同様の主張をしている。しかも、それらに同調する動きはほとんどなく、一過性で終わっている。安倍政権下で耳目を集めた森友学園問題でも、教育勅語を暗唱させている幼稚園が話題になった。それも、ことのうさん臭さを印象付けただけであった。

 また、「兄弟に友に」は今流の「兄弟姉妹同格平等で仲良く」という意味ではない。「長男は家督相続者であるから、弟はもちろん、年長の姉妹も家庭内では長男を優先するように心掛けなさい」だった。旧民法が前提にした家父長制、長子相続制に則した男尊女卑の心構え(道徳)を女子児童に植え付ける。その役割を教育界に指示したのが教育勅語だった。そうした点を無視した肯定的な解釈は、”サギをガラスと言いくるめる”詐欺師的手法でしかない。

◆「爾臣民」を推奨する違憲行為

 これら徳目についての現代的解釈をもって、「実は民主主義的な発想の言葉」とする主張は、これまでと同様で「またか」という観が強い。批判や抗議の内容も同様であるかのように見える。

 だが、松井市長の主張には、これまでにはない問題点が含まれている。それが前述の「爾臣民」という3文字を引用している点だ。日本国憲法下でも天皇制は存続している。だが「国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法第1条)に規定されている天皇が「爾臣民」という語を用いる余地は全くない。それを広島市長が職員に向けて用いた。まるで広島市役所では「私を天皇と心得よ」と言わんばかりだ。ちなみに松井氏は明治憲法下は「天皇が全部、朕ということでとりしきって」「結局戦前の日本になって戦争国家へ突人した」との解釈を表明している。天皇崇敬意識が鮮明な右翼などを刺激したのではないか、と危惧される。

 「爾臣民」の無神経な引用は、同時に松井氏が戦前と戦後の法体系が抜本的に異なっている点に、無知同然であることをも示している。

 明治憲法下の法体系は天皇制による勅令主義で整備されていた。明治政府は、元老や貴族院議員、大臣さらに道府県知事など行政組織の長などが勅撰で任命され、民意の反映は極めて限定的だった。衆議院選挙も選挙権が制限され、裁判も「天皇ノ名二於イテ」行なわれ(明治憲法57条)ていた。そうした法体系下で「臣民官僚」は天皇権限行使の代行者「お上」として君臨し、民主主義の芽をつぶし続けた。

 国の進む道を誤らせた戦前の体験を反省し、戦後の法体系は法治主義に転換している。普通選挙によって選出された議員らによる法令に行政は従い、議会は行政を監視監督する権限を有している。法令の最上位にある日本国憲法の99条では、全ての公務員に憲法遵守と擁護の義務が有るとし、15条で「令ての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」としている。さらに国家公務員法と地方公務員法では、公務員として職務に就く(服務)際に、宣誓を課している。そして、大半の「宣誓書」には憲法の遵守が記載されている。

 従って現在の日本社会で、公務員である広島市長が公的な場で、「爾臣民」の3文字に肯定的な意味を有していると主張することは法的にも許されない。しかも今回のケースは、職員の任命権を持つ首長が、自己の行政権限をもってその主張の聴講を義務付けている場での講話である。本件事案は明らかに憲法1条・15条・99条に違反し、違法だ。

 同時に、市長としての本件での職権行使は職権乱用であり、典型的なパワーハラスメントでもある。そのことは、職員が身体的もしくは精神的な苦痛を与えられたことを意味している。本件は人権救済、あるいは損害賠償の申し立てなどの対象となる法的事案でもある。

 さらに、課長級以上の職員も共同責任を問われかねない。松井市長は、同様の講話を、新任課長級研修においても、実施していることを認めている。管理職には部下の統率監督・指揮だけでなく、部下が公務員として働く公正適正で合法な職場環境整備の責任がある。課長職の管理職員は、自身の受講体験によって、部下たちが違憲違法な講話の聴講を強制されている状況を知り得たはずだ。だが、12年もの間、その違法な状況の是正を怠ってきた。
(つづく)


2024年4月1日 月刊「市民の意見」 202号 26ページ 「広島市長が『爾臣民』を職員研修で心構えとして協調」から前半を引用

 広島市の松井市長の教育勅語の解釈は独りよがりで、戦前の社会で家父長制と男尊女卑を徹底させる役割を果たしたという「事実」の認識が欠落している。それも、「爾臣民」などと今では天皇自身も法律上言えない「言葉」を、さも知っているかのように職場研修のテキストに掲載するなどは、思い上がりも甚だしい。その上、時代錯誤の内容のテキストで「職場研修」を受けさせられた職員にしてみれば、むやみに拒絶するわけにも行かず、ただただ退屈な時代錯誤のお説教を聞かされる、典型的なパワハラだったわけで、広島市の市長と管理職は、大いに反省する必要があると思います。





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最終更新日  2024年04月19日 01時00分07秒
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