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2024年06月30日
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テーマ:ニュース(99990)
カテゴリ:ニュース
「祖国のために命を捨てるというのは、相当高度な道徳的行為だ」という戦後最大の欺瞞に満ちた河村たかし名古屋市長の発言について、京都女子大学教授の市川ひろみ氏は15日の朝日新聞で、次のように述べている;


■軽い、発言も命への敬意も

 発言が軽い、というのが率直な感想です。他の人の命を左右することをどうとらえているのでしょうか。昨夏、台湾有事を念頭に置き、麻生太郎・自民党副総裁も「戦う覚悟」に言及しました。私も含めて、戦争についての実感がない人が増えたことの一つの表れではないかと思っています。

 親を失ったり、職を失ったり、苛烈(かれつ)な体験をしたり、とみんながなんらかのかたちで戦争を体験しました。「戦争はもうこりごり」と実感した人が多かった時代に、こうした発言は簡単に出てこなかったのではないでしょうか。

 国に対する思いは、人それぞれです。故郷を大切に思う人もいるし、国家に自己投影する人もいます。オリンピックなど国対抗戦となると、普段は意識していなくてもナショナリストになる人も多いでしょう。そうやって、知らないうちに「国」、ナショナルなものに自分を結び付けて感じることは恐ろしいことだと思っています。生身の人が見えなくなって、旗や歌で扇動され、他の人を敵視するようになりかねないからです。

 「捨てる」という表現には、「どうでもいいもの」として「誰かの命」を扱っているという感覚があるのでは。実際、日本軍兵士の命は「鴻毛(こうもう)よりも軽し」でしたし、命を軽く扱ったことについて日本は国として真摯(しんし)に振り返ることも、反省することもしていません。些末(さまつ)な人の命と比べれば、「祖国」は尊いと言いたいのでしょうか。

 私が研究テーマとする兵役拒否は、個人の内面の自由を尊重するために権利として保障されるべきだという考えです。当初、兵役拒否者は、国民が担うべき義務を果たさない存在であり、「真っ当な国民像」からの逸脱としてとらえられてきた時代がありました。しかし、国家が個人の内面に介入することは許されるべきではないという考えが広く認識されるようになります。個人の信仰や信条は国家に従属するものではない、と。今回の発言は、人間の尊厳や内面の自由を軽視するものでもあります。

 かつて人々は、国家の方針に従って若い命を捧げることを称賛し、国家の方針に疑問を呈する人々を非国民だと追い詰めました。河村発言を許している私たちは、誰かが「祖国のために命を捨てる」ことを推奨していること、そして自分たちの命や尊厳も粗末にする道を開いていることに気づいているでしょうか。
(聞き手 編集委員・豊秀一)

     *

<いちかわひろみ> 1964年生まれ。専門は国際関係論・平和学。個人の視点からみた紛争を研究する。著書に「兵役拒否の思想」など。


2024年6月1日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論-国のため死ぬ=道徳的?」から一部を引用

 河村たかしという人物は、あまり深くものを考えず、少し都合の悪いことはすぐに否定する性格のようですから、過去にも「南京大虐殺なんて無かった」と発言して日中友好の気運を台無しにしたことがありました。したがって、学校教育で戦争中の日本がどういう社会だったのかというようなことも学習しておらず、戦後の日本がどのように過去を反省したのかということなども全く無関心で、聞きかじった戦前のモラルを壊れたテープレコーダーのように繰り返しているのでしょう。こういうお粗末な人物を市長にしておく名古屋市民の良識を疑います。





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最終更新日  2024年06月30日 13時31分53秒
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