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2024年07月02日
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テーマ:ニュース(99467)
カテゴリ:ニュース
戦後、中国大陸や東南アジアの戦線から生還した元日本軍兵士の体験談を記録する仕事に従事した歴史学者で神田外語大学・埼玉大学兼任講師の遠藤美幸氏は、河村たかしの浅はかな「戦死は道徳的」発言について、6月1日の朝日新聞で、次のように述べている;


■「生きたかった」のリアル

 まず問題だと思ったのは、「高度の道徳的行為」という表現です。戦死者をたたえる、顕彰するという意味が含まれています。命を捨てることが素晴らしい、というメッセージを発しています。戦死者を悼み、慰霊するのは当たり前の行為で、国がやるべきことです。しかし、顕彰することではありません。

 顕彰は功績をたたえ、広く世に伝えること。戦死者を顕彰することは、戦死に対して精神的なよりどころ、礎を与えることで、結局、戦争を準備することにつながっていくのです。

 今回の発言は、戦場や戦争を知らない、浅慮なものだと感じています。戦争を理解することは並大抵のことではないからです。

 私自身、戦争に詳しい人間ではありませんでした。ある偶然の出会いから、ビルマ(現ミャンマー)戦線を調べることになり、20年以上前から元将兵らの聞き取りを始めました。戦友会の会合や慰霊祭にも参加してきました。証言のほか、日本軍や連合軍の残した史料と照らし合わせながらようやく、戦場体験を理解できるようになりました。それでもまだ不十分です。祖国のために命を捨てるのが道徳的、と簡単に言えるのはいかにも薄っぺらい。

 生前おつきあいのあった学徒兵の元特攻隊員、岩井忠正さんは「特攻隊員がみんな喜んで、天皇のため、お国のために命を捧げようと思っていたわけではない。本当は生きたかったが、それを言ってはいけない空気があった。自分はその空気に迎合してしまった」と悔いていました。

 ところが、こうした戦場体験者がいなくなり、体験の世代間の伝達や継承がうまくされず、戦場の現実をリアルに想像できなくなっている。そこに今回のような発言が生まれてしまう。「平和ボケ」です。

 ビルマ戦を生き延びた部隊の中隊長が戦友会でこう語っていました。「私はいま戦争になったらさっさと逃げます。戦争に行って、戦争のむごたらしさを嫌というほど経験し、私は最大のひきょう者になりました。戦争は何としても阻止しなくてはいけません」と。「不戦こそ最高の慰霊だ」と言った方もいました。

 何のために死ぬのか、悩みながら多数が犠牲になっていった。その犠牲の上に絶対に二度と戦争はしないと誓って今がある。戦死を道徳的な行為だとほめたたえることは、犠牲者の慰霊にもならないでしょう。
(聞き手 編集委員・豊秀一)

     *

<えんどうみゆき> 1963年生まれ。ビルマ(現ミャンマー)戦線を研究する歴史学者。元兵士の戦場体験を聴き続けてきた。著書に「悼むひと」など。


2024年6月1日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論-国のため死ぬ=道徳的?」から一部を引用

 昨日の欄に引用した記事の伊勢崎賢治氏と同様に、ビルマ戦線から生還した中隊長経験者も「いま戦争になったらさっさと逃げます」と言っている。それが人間としてまともな対応の仕方であることを示していると思いました。また、この記事が指摘しているように、戦死した兵士を「顕彰」するというのは、取りも直さず「いま生きている国民を、次の戦争に動員する」という「目的」があってすることですから、例えば靖国神社のような戦争犠牲者を「軍神」などと奉るような神社は「国の交戦権を認めない」と宣明した憲法の立場から言えば、わが国には無用の神社であり、直ちに廃止して、無宗教の純粋な「戦争犠牲者追悼施設」とするべきで、それによって祀られる「犠牲者」も、軍人に限ることなく、東京大空襲などで犠牲になった民間人の追悼も出来ることになる。そうすることが、最上の改善策であると思います。





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最終更新日  2024年07月02日 01時00分09秒
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