安倍晋三という「政治家」について、朝日新聞は何を意図したのか、3人の文筆家にインタビューして、安倍氏に関する人々の「記憶」がどうなっているのかを語らせている。その記事の中で、ノンフィクション作家の梯久美子氏は、次のように述べている;
2年前の耕論「安倍氏の記憶の行方」で、私は「為政者が安倍氏の死をどう歴史に位置づけていくか注目したい」と話しました。戦争の取材の中で、悲劇的な死を遂げた者が英雄化され、政治的に利用されるのを見てきたからです。でも、自民党の政治家は現在に至るまで、安倍氏にほとんど言及せず、三回忌にあたる今年の命日も、ほぼスルーされたと感じました。今のところ利用価値はないと判断されたのでしょう。
どの地点から振り返るかによって過去の持つ意味は変わります。今、安倍氏の死に言及すれば、おのずと旧統一教会のことがついてくる。安倍派の裏金問題もあります。異例の長さの総裁選を通して「活力」や「刷新感」を演出しようとしている自民党は、安倍氏の記憶にフタをしようとしているかのようです。
野党やメディアも、「死者にむち打つな」といった声を気にしてか、政治家としての安倍氏をまともに検証していません。でも、過去を検証するのは後ろ向きなことではありません。人が見ることのできるのは過去だけであり、未来について判断するには、歴史を顧みるしかないのです。
最近、「スケールの大きい政治家」を待望している自分に気付くことがあります。その中身に賛同できませんでしたが、「戦後レジームからの脱却」など大きなビジョンを掲げた安倍氏は、ある意味、政治家らしい政治家だった。対照的なのが岸田文雄首相です。この国をどうしたいか語らないまま、保険証の廃止や防衛費増額などの重要テーマを「処理」するかのように進めていった。総裁選の候補者にも、この社会はどうあるべきかというビジョンを語る人は見当たりません。そんな中で、安倍氏が透明化されたまま、「大きな政治家」を求めてしまうことに危うさを感じます。
はたして安倍氏は戦後政治史に残るスケールの大きな政治家だったのか。等身大の安倍氏との間にギャップはなかったか。それを知るための突破口は安倍昭恵さんかもしれません。朝日新聞のインタビューで、森友学園問題に関して「(自分は)証人喚問に出てもいいと言ったけど(安倍氏が)だめだと言った」という新証言がありました。評伝を書く時には「この人が話してくれれば書ける」というキーパーソンがいます。政治家の記憶を決めるのは為政者だけではない。いずれ昭恵さんにも「語るべき時」が来るはずです。
(聞き手・田中聡子)
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<かけはし・くみこ> 1961年生まれ。編集者を経て文筆業に。「散るぞ悲しき」で大宅壮一ノンフィクション賞。近著に「戦争ミュージアム」。
2024年9月3日 朝日新聞朝刊 13版S 11ページ 「耕論・安倍氏の記憶の現在地-刷新感求め フタする自民」から引用
この記事では、安倍氏が首相を務めたという史実は「今のところ利用価値がないと判断されたのでしょう」などと言っているが、これは「今のところ」だけではなく、これからもずっと「利用価値」は出てこないと考えるのが「常識」だと思います。安倍氏の取柄と言えば、長く総理大臣の席にあったというだけのことで、その在籍期間に彼が行った数々の違法行為が、すべてテキトーな言い訳と周りにいる秘書だの事務員だのという「取り巻き」に責任をなすりつけて、当の本人は涼しい顔をしてあわよくば3度めの「総理の座」を狙っていたというおぞましい現実があったという話に過ぎない。安倍氏が時折いっぱしの政治家であるかのような口を利くことがあったのは、彼を利用価値があると見込んで接近してきた葛西某というJR東海の元社長が、いろいろとそれらしい「セリフ」を吹き込んだからであって、安倍氏自身に確かな「信念」があったわけではなかったのは、今となっては誰もが知る事実である。