先月の総選挙投票日の朝日新聞朝刊は、次のような社説を掲載した;
衆院選の投票日だ。デモや議会への請願など民主政治に参加する方法はさまざまあるが、なかでも選挙だけは、忙しい時間を割いて、体の不調をおして、出かけてきたという人は多いかもしれない。
ただ残念ながら、政治や政党に何かを期待する気持ちが、ともすればしぼみそうになる状況が続く。前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いものだ。
政界の内向きな権力闘争のあまりの「遠さ」に気が遠くなりながら、つぶやく。「あの原発事故なんか、なかったみたい」「生活の苦しさは、全部自分のせい?」「無償化、減税もいいけれど、将来借金を背負うのは誰?」
言いっ放しの愚痴だっていい。つぶやきから、政治参加の種火がふくらんでいく。
この先もこの国で生きていくしかない大多数の私たちは、政治を諦めたくても、諦めるわけにはいかないのだ。冷静な怒りと希望を枯らさず、ままならない政治を鍛えていきたい。
政党政治への嫌気が充満する現状には危険もある。「きっと今よりはまし」に映るもの、例えば、政党政治を全否定するカリスマや、人工知能に政策決定まで委ねようという主張が現れれば、一瞬まぶしく見えるかもしれない。
しかし、テーブルの上が散らかっているからとクロスごと引き払えば、気付かないほど当たり前だった大事なものまで床に落ちてしまう。骨は折れるが、課題を一つ一つ片付けるしかない。政党政治が支持を失い、軍部主導の政治へ傾いていった、戦前の歴史も思い起こしたい。
男子普通選挙の実現から来年で100年、女性が選挙権を得てから80年だ。どの政治家が信じられるか、どの政策がよい未来を引き寄せるか。選択は簡単ではない。それでも、失敗から少しずつは学びながら、何十年と投票を重ねてきた日本社会の経験知が、選択を支えてくれると信じ、今日の一票を投じたい。
選挙で約束されたことを覚えているのが、明日からの仕事だ。忘れたふりをされたなら、声を上げるのに次の選挙を待つ必要はない。政治に参加する方法は一つではない。
自分の未来のために投票する気力は、もうわかないという人もいるだろうか。それならば、困っている隣人など、誰かのためになりそうな政策に票を投じたっていい。誰かのためになら、意外な力がわくことがある。同じこの国に生き、投票に行くことが難しい人、選挙権のない人のためにも、政治はある。
2024年10月27日 朝日新聞朝刊 13版 8ページ 「社説-政治を諦めないで」から引用
この社説も、相変わらず「どの政治家が信じられるか」などときれいごとをのべているが、普段会うこともない候補者一覧の選挙公報を眺めて、「どの政治家が信じられるか」など分かるわけがありません。そうなると、まじめな人ほど「そんな選択は無理だ。考えるだけ時間の無駄だから、もっと有効な時間の使い方を」と考えて、投票所とは別のところへ出かける羽目になるというものでしょう。この社説が自ら指摘しているように、現在の国民生活の苦境は「前の衆院選からの3年間の出来事だけではない。幻滅の根はそれ以前にさかのぼる深いもの」なのだから、社説としては「現在の与党が、30年前から大企業・富裕層優遇の政治をしてきたから、今日の問題が存在する」とはっきり、断言するべきであり、だから今日の投票は「富裕層の応分の負担を主張している共産党に投票を集中して、政権交代を目指すべきです」と、はっきり主張するべきで、新聞がそういう姿勢を見せれば、「それなら、世の中を変える可能性は大きいな」と判断して、より多くの若者が投票所に足を運んだはずです。長期低落傾向の日本を立て直すには、先ず新聞の論調から改善していく必要があると思います。