官舎の敷地は広くて(と子供心には思った)その庭で、うじゃうじゃいた子供同士が遊ぶのは楽しかった。外がどんなに荒れても天国だった。
焚き火をしてお芋を焼いていたら、棕櫚の木に火がついてしまっておおごとになった。 みんなの家でそれぞれにわとりを飼ってもいた。もちつきをみんなでした。一軒でおいなりさんやおはぎを作ればおすそ分けがあった。
誰かがいじめて、誰かがすねて泣き喚いた。親同士は上司や同僚とてよいことばかりではなかっただろうが、学校から帰ったこどもにはさながら小さな楽園だった。
外に出る機会といえば、市場へ買い物に連れ出される事だった。その市場はたぶんあの潜入映像北朝鮮の市場のようであったろうと思う。母はよく財布をすられた。わたしは見張ってなきゃだめって叱られたけれど、どの少年が犯人かなんてわからなかった。
庭の中へも靴泥棒とかゴムひも売りや乞食が入ってきたので、大きな門は閉めてきってくぐり戸一つが通用口だった。それでも弟(2歳)はチンドンヤさんについていって、迷子になってしまい大騒ぎになった。
やがてわたしもだんだん学校の友達と遊ぶことや、習い事のため外に出る事が多くなったのは当然である。