ぼ ん や り の 時 間
常に時間に追われ、効率を追い求める生き方が、
現在人の心を破壊しつつある。
今こそ、ぼんやりと過ごす時間の価値が
見直されてよいのではないか。
では、そうした時間を充実させるために
何が必要であり、そこにどんな豊かさが
生まれるのか。さまざまな書物にヒント
求め、自らの体験もまじえながらつづる
思索的エッセイ。
1 ぼんやり礼賛ーー常識に逆らった人びと
「 ぼんやり 」という貴い時間
ぼんやりとしている時間は非常に大切で貴い、
と書いたのは哲学者の串田孫一だ。
あの「山のパンセ」を書いた串田は、詩人であり、
ナチュラリストであり、画家であり、戦後が生んだ
屈指の思想家だと私は思っている。
いくら串田先生の言葉だといっても「貴い、という
言葉にはちょっとひっかかる」という人もいるだろう。
「ぼんやりはいかん、ぼんやりしていたんでは人生
のバスに乗り遅れるよ」という人もむろんいるはずだ。
でも私はぼんやりという言葉が好きだ。
串田の「無為の貴さ」という短いエッセイは繰り返し
読んでいる。 こういう一節がある。
「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い
時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、
この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、
必ず貯えられているものがある」
ぼんやりすることでなにを貯えるのか。そのことを、
そんな性急に畳みかけるように尋ねたりしないものだ、
と串田はエッセイのなかで私たちの性急さをたしなめている。
そう、それを尋ねるのなら、尋ねる前に、なにはともあれ、
自分でぼんやりしてみるのがいちばんだと思う。
小さな公園のベンチでもいい。コーヒー店でもいい。
鎮守の杜(もり)の木漏れ日のなかでもいい。
外に出るのが面倒なら、家のなかでもいい。
とにかくぼんやりを体験してみること、
まずはそこから始めたい。
いちばんいいのは風の吹き抜ける静かな場所に坐り、
背を伸ばし、肩の力を抜いてみることだろう。
深呼吸をする。坐っていても、立っていても、
深呼吸のやり方は変わらない。
深呼吸は息を吐くことに重きをおく。
吐いて、吐いて、さらに吐く。
細く長く吐ききるまで吐く。
あなたのからだはまだまだ硬い。
ゆったりとした気分になり、さらに肩の力を
抜いてみる。
下腹の丹田(たんでん)を意識する。
深い呼吸をしながらぼんやりしていることが、
あなたにとって快い状態になればしめたものだ。
ときには、静寂が皮膚にしみこむのを体感することが
できるかもしれない
静寂のなかでぼんやりすることの気持ちよさを味わう
ことができれば、それは至福への道の第一歩になる。
近所に、緑ゆたかな大きな公園があれば、なおさらいい。
そういうところには、きっとあなたの好きな木が何本か
あるはずで、好きな木の前に立ってぼんやりする時間を
もちたい。
著者:辰 濃 和 男 ( たつの かずお )
1930年 東京に生まれる
1953年 東京商科大学(一橋大学)卒業
朝日新聞社入社、ニューヨーク特派員、社会部次長、
編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。
この間、1975年~88年、「天声人語」
を担当、93年退社 現在ージャーナリスト
2010年3月19日 第1刷発行
発行所 :株式会社 岩波書店
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最終更新日
2021年10月28日 09時45分46秒
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