火 の 粉
1 判 決
「紀藤(きとう)さん。昨日は結構遅かったんじゃないですか?」
刑事1部の裁判官室を出たところで、梶間勲(かじま いさお)は
判決原稿に何気なく目を落としながら、隣に立つ右陪席裁判官の
紀藤に小さく声をかけた。
「ええ、10時くらいですか」
紀藤はかすかな緊張感を言葉尻ににじませて答えた。
「どうしても昨日のうちに読んでおきたい記録が
あったものですから」
「その時間からよく散髪屋が開いていましたね」
勲が言うと、紀藤の口から弛緩した息が漏れた。
頭の後ろを照れたように撫でる。
「家内に切ってもらったんですよ。襟足が左右でバラバラなんです。
鏡で見ると苛々しますよ」
「襟足は映らないからいいでしょう。
前だけですよ。そうですか。奥さんに・・・そりゃよかった。
昨日と今日じゃ5歳は違って見えますよ」
紀藤は照れ隠しのつもりか、肩をすくめて見せた。
著者: 雫井 脩介( しずくい しゅうすけ )
1968年 愛知県生まれ。専修大学文学部卒。
2000年第4回新潮ミステリー倶楽部賞受賞作
「栄光一途」でデビュー。
第2作「虚貌」はクライムノベルの傑作として
絶賛を浴びた。
他の著書に「白銀を踏み荒らせ」「犯人に告ぐ」
がある。
平成16年8月5日 初版発行
平成21年10月1日 19版発行
発行所: 株式会社 幻冬舎
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最終更新日
2021年10月28日 09時44分13秒
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