明 日 な き 時 代 を 生 き 抜 く た め に
「 放 射 能 時 代 」 が は じ ま っ た。
とんでもない時代になってきました。
こんな時代によくもめぐりあわせたものだなあ、と
最近くり返しため息をつかずにはいられません。
明日( あす )どうなるか。それがまったく見えないのです。
たよるべきものは、どこにもありません。
実感としてそうなのです。
自分自身も、家族も、自分で守る以外に
方法はないのではないか。
国や政府やマスコミも当てにならない。
最近、あらためてそのことを感じられたかたは
少なくないでしょう。
たとえば、私たちは今後、何十年か、何百年か、
ひょっとすると、永久に放射能と共存して
暮らすことになるかもしれない。
放射能と共に生きる。放射能のなかで生きる。
自然の放射能ではなく、人間のつくりだした厄介な放射能です。
みんながガイガー・カウンターを、携帯電話か腕時計のように持ちあるく。
そんな日常生活を、だれが想定したでしょうか。
すでに小、中学生に放射能計量器をもたせる準備を
すすめている自治体もあるようです。
国内の原発のすべてが停止したのちも、放射能の問題は解決しません。
危険な使用済み核廃棄燃料はどこに、どう閉じこめておくのか。
プルトニウムの半減期は2万数千年といわれます。
といって、国外に運びだして、外国に保存してもらう
わけにもいかないでしょう。
今後、私たちは、地下に収納するしかない放射能物質と
共棲( きょうせい )する暮らしを覚悟しなければなりません。
この世界有数の地震多発列島においてです。
天気予報で知らされる気圧や温度と同じように
「 きょうの放射能 」というニュース番組を毎日
ふつうに見ることになるかもしれない。
「 お天気おねえさん 」と同じように、「 放射能おねえさん 」
が人気者になるかも知れない時代です。
放射能をおびた夏の海で子供と泳ぎ、放射能のしみた
草原に家族でキャンプする。
好むと好まざるとにかかわらず。それが私たちの
明日なのです。
嘆いても、怒っても、幕はあがってしまった。
原子力に反対の人も、推進派も、ひとしく
放射能とともに生きることになる。
1970年代、「 戦争を知らない子供たち 」という
フォークソングが一世を風靡( ふうび )したことがありました。
いつか「 放射能を浴びた子供たち 」という歌がうたわれるかもしれません。
とんでもない時代、と最初に書いたのは、そいう意味でした。
著者:五木 寛之 ( いつき ひろゆき )
1932( 昭和7年 )福岡県生まれ。
生後まもなく朝鮮にわたり戦後引き揚げ。
66年「 さらばモスクワ愚連隊 」で第6回小説現代新人賞、
67年「 蒼ざめた馬を見よ 」で第56回直木賞、
76年「 青春の門 」筑豊編ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。
代表作に「 戒厳令の夜 」「 朱鷺の墓 」「 風に吹かれて 」
「 大河の一滴 」など多数。
発行年月日 2011年6月30日 第1刷発行
発行所 株式会社 徳間書店
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最終更新日
2022年02月23日 18時21分52秒
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