201129 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

ヴェネツィアの獅子たち

ヴェネツィアの獅子たち

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

Reiko Fujiwara Marini

Reiko Fujiwara Marini

Archives

2024/04
2024/03
2024/02
2024/01
2023/12

Recent Posts

Category

2008/10/11
XML
カテゴリ:歴 史
 イタリア半島は、ローマ帝国滅亡のあと、北から南から、西から東から、様々な民族が侵入を繰り返し、異なる文化を持つ大小の国々が建設されて来ました。
 南部はイスラム、スペインの影響を強く受け、中部から北イタリアでは、小都市国家が分立していました。
 今では「世界最小の国」であるヴァチカン市国も、かつてはローマ教皇領として、ナポリの北側からローマ周辺はもちろん、(フィレンツェ、シエナを除き)東部はヴェネツィアの手前まで達していました。
 
 容姿もメンタリティーも、まったく違う民族が散らばって国を形成し、国境付近だけでなく、一つの国の中でも地域や区域ごとに、小競り合いと衝突を繰り返してきた場所です。
 そして、19世紀になって、ようやく「イタリア」という国として統一されたのですが、地方の特色や地域同士のライバル意識は色濃く残っています。
 
 広い視点でいえば、南北での大きな違い―「倫理感」から経済的な格差。狭い視点では同じ街の中での違い―小さなそれぞれの区域が持つ、方言から食の伝統に至る土着性。
 これらの大小にわたる、決して譲り合わない頑固さが、風土となり文化となり、イタリアの面白さや奥行きを形作っていることは間違いありません。
 
 イタリアのイタリアらしさは、イタリアという概念を取り去ったところにあります。つまり、イタリアという額縁を無視して、ひとつひとつ異なる輝きを放つモザイクのかけらを観察しないことには、意味がありません。
 イタリアという額縁で囲まれた全体像としてのモザイク画に何が描かれているのかは、あまりにも混沌としてイタリア人自身にも外国人にも分からないのですから。
 
 イタリアという国はあっても、パスポート上はイタリア人でも、実際にはイタリア人は存在しないと言ってもいいくらい、郷土色が強いからです。シチリア人は、本土へ行くのに「イタリアへ行く」という言い方をするし、例えば同じような地震が起きても、フリウリ地方の人々とカンパーニア地方では、反応もアクションも全く違うことでも分かります。
 ですから、イタリアとしての共通の歴史観を持つのは、それはそれは困難を極めるというものです。それでも教師の知識や教科書は、当然ある程度統一した物が必要なわけです。
(その2に続く 写真は18世紀のイタリア。クリーム色がローマ教皇領)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008/10/11 03:07:40 PM
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.