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カテゴリ:歴 史
当時、「破門される」ことは社会的に抹殺されることを意味していましたが、ヴェネツィア人は意に介していなかったようです。むしろ、教皇といえども自分たちの政治に介入することは許さない、というプライドというか感覚を持っていました。 ですから、西暦1000年を前にした、「最後の審判」がくだされて地獄に堕ちる、という「恐怖」は庶民レベルでさえ、当時ヨーロッパ一般の人々ほどは持っていなかったと思います。 こういう彼らの「合理主義的傾向」を、「ヴェネツィア人は金勘定しかしないからだ」という理由付けで見聞きすることがありますが、それは中傷というものでしょう。(「中傷」と言う言葉は、かつてのヴェネツィア人のためであって、現在のそれについてはそうともいえません) 彼らは敬虔なクリスチャンであり、カトリックではあったのです。それでいながら、宗教上の観念やイデオロギーに振り回されずに、カトリックの教えの「おいしいとこ取り」ができる能力を備えていたのだと思います。それはまさに「政教分離」が確立されていたということです。 宗教上の教義を盲信したり、特定の権力者に片寄ったりすることは、いずれ国の滅亡につながっていくことを知っていたのです。 それは、魚介類と塩しか資源のない、干潟につくられた小さな島が、独立国家として生き延びるために、必要から生まれた知恵だったのでしょう。(ヴェネツィアを描いた古い地図) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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