「オリエントの神々」序章13・ギルガメシュ叙事詩の発見
フランスのミショーは、1786年それもフランス革命の前夜僅か3年前にメソポタミアから不思議な石を発見して母国に齎します。その表面には楔形文字が彫られていたが、誰にも解読されませんでした。後には、ヨーロッパにオリエント(東洋)ブームが起こって、西洋人が競ってメソポタミアに押し寄せ、地面を掘りまくり、発掘物を本国へ持ち帰ります。その中でも、イギリスのレヤードはアッシリア帝国の都ニネヴェのアッシュールバニパル宮廷図書館址から、2万枚を超える粘土板を1849年に発掘し、イギリスの大英博物館に運び込みます。その後、粘土板の研究は進み、1860年までには、古代メソポタミアの「楔形文字」も殆んどが解読されます。結果、生まれたのが「アッシリア学」である。研究対象は、古代オリエントの言語とそれを使用した文明圏。その後、ヨーロッパでアッシリアの研究ブームが起こり、やがて、ギルガメシュ叙事詩第一の功労者イギリスのラッサムが登場、彼はニネヴェから歴史的な粘土板を発掘します。粘土板は、大英博物館に送られたましたが、そこに異常な興味を示す人物、遺物修復を担当するジョージ・スミスがいたのです。彼は楔形文字、執着があり、粘土板に夢中になり板面に驚くべき一文を発見します。ノアの箱舟のストーリー「船がニシルの山にとまった云々、鳩を放したが、やがて戻ってきた」の一文が見付かったのです。そのジョージ スミスは、資金をかき集め、一路、ニネヴェにむかった。みずからの手で発掘するためである。そして、奇跡の発見、「ノアの箱舟」そっくり書版で欠落部分、さらに、書版を掘り当てたのである。「ギルガメシュ叙事詩」発見の瞬間でした。それは創世記のノアの箱舟が、ギルガメシュ叙事詩を継承していることは間違いないところです。創世記を編纂したユダヤ人が、ギルガメシュ叙事詩を知り得たのは、かの「バビロン捕囚」でしょう。ユダヤ人は、開放されるまでの六十年間を新バビロニアに抑留され、そこで過ごした間に、彼らがギルガメシュ叙事詩「古バビロニア版」あるいは「ニネヴェ版」に接した可能性があります。事実そのユダヤ人は、新バビロニア滅亡とともに開放され、祖国に帰還した後に旧約聖書とユダヤ教を確立ます。ギルガメシュ叙事詩は創世記より古いことは確かなようです。