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「直覚霊知」213瞑想実践の六十八(秘学論理)
ゴータマ・シッダッタ(Siddhartha in Gautama)の経緯を見ても分かるように、本来の開悟としての「覚り」は将に天上天下、世界の総べてが語る声に霊魂をもって世界の理の根本的な真理を知ることに在るのが本然でしょう。しかし、シッダッタにしても最初の「覚り」は「言葉を持たない」言語をもって俗人には語れない疑問符な要素、即ち「言葉に出来ない?の原理」としか捉えきれなかった筈です。世界創世を「神」とは捉えない「ブッダ」に取っては「始めに言葉ありき」ではないのですから理の当然です。また、自己の霊魂の語る言葉で語ることが出来ない真理を言語に翻訳するには、更なる修養を必要としました。それ故、自己の表層意識にまで「覚り」を定着させるためには、日々の瞑想による繰り返させる「覚り」を必要とします。「覚り」は高次の世界からの「閃光」であり「定着」させるには自己の内精神の最初の「覚り」以降は、今迄とは逆に、世界理法に語りかけて言語でもって其の認識を繰り返して定着させることが重要となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月13日 06時46分59秒
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