「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ128
人間は考える生き物であり、古今東西それは変わる事無く、古代ギリシァ時代には既に思考実験を繰り返す哲学者を輩出しています。西洋思想は知の蓄積を人間の思考財産と看做し其の蓄積の結果が、正しい思想を導き出すとします。反対にインド哲学、中でもゴータマ・シッダルター以降の思想は、自己が獲得した「知」を無視することは有り得ないことであるが、其の「知」を始点として世界自然に共鳴するために自己を「無為」の境地に追い込む。豈図らんや、自己を自然と共鳴させます。然し乍ら、スピノザの演繹法とゴータマ・シッダルターの帰納法は大団円を迎えます。ゴータマ・シッダルターはたとえ神を了承しても其の神は不滅のものではないとします。一方のスピノザの演繹法では神なしには考えられない倫理がある以上、神は存在し現在することを解いてはいますが両者の思考の行き着く先は似通っています。スピノザは「神存在」其のものを否定しませんが、其の語彙を究めて厳格に取り扱っています。一方のシッダルターの「神存在」は所謂バラモン(婆羅門)教の神々を想定し、方便的に神の生死を説き、絶対存在を神格性が与えられた神以外の他のもの、世界の原理に世界の「有無」を離れた統一的原理を、自らの自我を解き放ち「無我」の世界で覚ります。
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