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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2023年11月07日
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カテゴリ:霊魂論


真相から見た宇宙の進化
第4講 月期における地球の内的側面-Ⅱ
ベルリン 1911年11月21日
 私たちが古「土星」と「太陽」の進化期において精神的に生じたことがらの中に身を置こうとするのであれば、私たちは私たちの眼差しを魂の特別な状態、つまり、人間の魂がより高次の努力に向けて舵を取り、苦闘し始めるときに現れる魂の状態に向けなければなりません。私たちは、第2講:太陽紀における地球の内的側面-太陽紀における地球の内的側面の中で、諦めや犠牲の本性を、私たち自身の魂の生活からそれを描くことによって明らかにしようとしました。私たちは、「喜んで与えること」あるいは「自分自身の自我を進んで諦めること」とでも呼べるようなものへと滴(したた)り落ち、そして、それから生じるのが見られるような叡智から人間が何を達成できるかを見てきました。私たちは、以前の状態から発展してきた地球の状況に近づけば近づくほど、今日の人間でもまだ経験できるような魂の状態に似た状態にますます出会うようになります。けれども、私たちは、私たちの魂生活の全体は、私たちの魂が地上的な体の中に挿入されていることで、その表面の下深くに流れる隠れた魂生活の上にある最上層のように横たわっているということを明確にしておかなければなりません。隠れた魂の生活があるということに気づかない人がいるでしょうか。人生は、そのような魂の生活が存在しているということを十全に教えてくれます。この隠れた魂の生活について何らかのことを明らかにするために、一人の子供、七歳か八歳、あるいは、別の同年代の子供としましょうがあれこれのことを経験すると仮定してみましょう。例えば、実際にはしていない何らかのことで責められ、ひとつの道理を経験するかも知れません。子供たちは屡々このようなことがらに対しては特別に敏感です。然し乍ら従来は、それをしたということでその子を責めることによって事を納めるのが、その子を取り巻く人間たちにとっては都合のよいことでした。実際、子供たちはこのような仕方で道理に苦しめられることに対しては本当に敏感です。けれども、人生とは、この経験がこの若い生命の中に深く食い込んだ後、年を経るにしたがってさらなる層がその魂の経験に付け加えられ、その子は、少なくとも日常生活の意味では、そのことを忘れてしまうという事になりがちです。多分そのようなことは二度と再び生じないでしょう。けれども、その若者が15才か16才のとき、例えば学校で、新たな道理を経験すると仮定してみましょう。すると、今や、そうでなければ波打つ魂の奥深くに眠っていたはずのものが再起されるのです。
問題の若者、彼または彼女が子供のときに経験したことの思い出が作用しているのだということも知らずに、実際には、全然別の考えや概念を形成するかも知れませんが、仮に、以前のできごとが起こっていなかったとしたら、例えば、それがひとりの若い男であったならば、彼はただ家に帰り、いくらか涙を流し、そして、多分いくらか不満を言うかも知れませんが、 それでも、彼はそれから立ち直ることでしょう。ところが、以前のできごとが正に生じていたために、ここで私は、何が起きているかについて、その若者が知っている必要はないということを特に強調したいのですが、ちょうど、静かに見える海面下で波が打ち寄せるように、その以前のできごとがその魂の生活の表面下で働きかけるのです。そして、そうでなければ単なる涙と不平、そして侮辱で終わったはずのものが、今やひとりの学生の自殺というという結果をもたらします。こうして、魂生活の隠された深みは、最も深いレベルから表面へと上昇し、その役割を果たすことになります。これらの深みで支配する最も重要な力とは、それは、その本来の姿で上方へと押し進むとき、最も意義深いものになるのですが、それにもかかわらず、私たちはそれについて無意識のままに留まりが、それは憧れなのです。私たちはこの力が外的な世界の中で有しているいくつかの名前を知っていますが、それらは漠として比喩的なものです。何故なら、それらの名前は複雑な関連を表現するものであり、意識の中にまでは全く入ってこないからです。
記:藤村 操(ふじむら みさお/1886年(明治19年)7月20日 - 1903年(明治36年)5月22日)は、北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺。滝上のナラの木に〈巌頭之感〉の題下〈万有の真相は唯だ一言にして悉す曰く不可解我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る〉と遺書す。



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最終更新日  2023年11月07日 06時01分33秒
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