「かずさんの人生録(2)」
発火石加工プレス機(2Fで押し出されたライター石が1Fへ)「かずさんの人生録(2)(新入社)」 少し詳しく観てみよう(1)仕事 ◇希土類元素(レア・アース)精錬とその応用 22才(1954)~70才(2002) 【三徳金属工業(株)入社】 昭和30年(1955)神戸大学卒業だが、戦後10年で就職難。当時、今のような就活はありはしない。せめて公務員になろうと公務員4級の1次試験はパスして、特許庁へでも行こうとしていたが。ある日、ゼミの井上先生から「おい、山本君、三徳金属工業(株)という会社があるが行ってみないか。小さいがユニークな会社だそうだ。」と紹介され、何をやっているのかも知らずに飛び込んだ。行って驚いたのは、従業員30名ほどの町工場。戦中に建てられた木造スレート張りの建物7棟が工場。昭和12年(1937)に「三徳工業(株)」が非鉄金属精錬を仕事に軍需工場として、全国3か所に建設され、戦後、会社解体で神戸・深江の工場が、三徳金属工業(株)として生き残ったもので、大企業の子会社でなく、独立した会社である。役員は終戦時に従業員だった方がお金を出し合って株式会社を設立したという。 やっている仕事と言えば、戦中に貯めこんだモナザイト(レア・アース原料)鉱石、エメラルド原石(緑柱石:べリリア:ベリリウムの原料)などが豊富に積んであった。これらの原料から、溶融塩電気分解法で、ミッシュメタル(レア・アース金属)を造り、ライター石に加工していた。終戦当時、ライター石は貴重品で、1個5円取引されたという伝説がある。その他、溶融塩電解でカルシウム金属を製造。合金部門ではルチル(チタン原料)から、フェロチタン母合金を製造していた。その他、ジルコニウム、マンガン、モリブデンの鉄母合金なども鉄鋼添加用として、少量、製造していた。化成部門ではアークカーボン用のフッ化セリウムが製造されていた。これは、戦後の映画ブームに乗って映写機の光源に使っていたらしい。そんな中へ飛び込んでいったい何ができるのだろう? (つづく) <今朝も冬型、雲が一面でところどころ青空が覗いて日が射している。風はなく山には少し靄が掛かっているが、屋根には霜は降りていない。7℃54%で薄ら寒い。小鳥たちは冬ごもりか鳴かない。冬至(22日)が近づいて日の出が遅くなった。>