午前十時の映画祭■「鳥」はアメリカン・ニューシネマの先取りか?
この映画を久々に見て、「鳥」という映画が、このような内容であったのかと驚いた次第である。これは人の記憶のあやふやさか、それとも人生経験によるものか、そういうものであろう。今回見て感じたのは、この映画は「裏窓」や「北北西に進路とれ」のような、洒落た、そして痛快な娯楽映画ではない。人間関係のドラマとしては、暗く鬱々とした雰囲気である。以前見たときには、この映画の主役はティッピ・ヘドレンとロッド・テイラーで、その脇にスザンヌ・プレシェットとして見ていたが、今回、見ると主役はジェシカ・タンディである。ティッピ・ヘドレンは、それに対する脇役であり、ロッド・テイラーは、ほとんど存在感がない。こうした人々が演じる諍いと対立のドラマに「鳥の襲撃」というエピソードが絡み、これによって人々の諍いは和解に向かいつつあるが、それは決して解決ではない。ティッピ・ヘドレン演じる救われるべきヒロインは、神経がやられてしまう。「鳥の襲撃」の原因も判らず、主人公たちは車で脱出するが、果たして目的地に無事にたどり着けるのかどうかは判らない。数年後に登場するアメリカン・ニューシネマの先取りをしたようなラストである。