「ディア・ハンター」はお嫌い?
「ディア・ハンター」は嫌いな映画である。俳優も、キャメラも、音楽も、演出もすべてにおいて完成度が高いのである。この映画を最初に見たときは、まだ「地獄の黙示録」は公開されておらず、これを見ながら「『地獄の黙示録』は、地獄のような戦場の描写は、この作品を上回るであろうか」と考えていたほどであった。しかし、ベトナム戦争において加害者であるアメリカが、ここまで「アメリカ人も被害者という側面もあるのだ」という主張をしていいのかと、非常に腹立たしく、嫌悪感をいだいたのであった。以来、この作品は嫌いな映画のトップクラスに君臨しており、次にこの映画を見て、この「嫌い」がどのように変化していくのかという点が、ここ何年もの私の最大の関心事であった。「午前十時の映画祭」で、やっとその検証の場が叶えられたわけで、改めて見て、どうであったかと、マイケル・チミノ監督には、ベトナム戦争がどんな戦争であったのかの関心は全くなかったのではないかという点を強く感じたのである。ひとつの世界(共同体)が、社会の出来事(ここではベトナム戦争)によって、どのように変貌、あるいは崩壊するか、そのこととそれを構成する個々人の変化が、どのように関係づけられるのかを描いたものではないだろうか。結婚式のシーンが延々と25分ほどもあるが、そのシーンから多少無理なこじつけをやってみると、これはアメリカローカルの庶民版「山猫」ではなかろうか?そういう解釈の方が、ベトナム戦争論的解釈より非常にすんなり受け入れられるというのが現在の私のこの作品への評価である。「ディア・ハンター」とは、また、何年後かにお会いしたい。