リノは、意を決した目で顔を上げた。
トゥパク・アマルの手紙を、震える指で握り締める。
そして、ついに、扉の取っ手に手をかけ、それを回した。
豪奢な彫刻の施された重厚な扉が、ゆっくりと開かれていく。
カランカラン…――と、軽やかな鐘の鳴るような、扉に据え付けられた呼び鈴の音――中にいた客たちが、一斉にこちらを振り返る。
入り口に立って、緊張と興奮に震え昂(たか)ぶるリノの目に、インカ族の数名の客たちが映る。
まだ日も高いためか、店内の客は、そう多くはなかったが、皆、インカ族にしては、かなり上等な身なりをしており、酒場の風格も貧しいリノの知る場末の酒場とは全く雰囲気が異なり、格調高い気配に満ちている。
扉近くのカウンター傍にある重厚なマホガニー製の棚には、スペイン人のリノさえお目にかかったことのないような高価な酒類の壜がズラリと並び、艶やかな木目のワゴン上には、美しいカットグラスが間接照明を浴びてキラキラと輝く。
(――……!)
リノが急に場違いなところに迷いこんでしまったように、すっかり戸惑いの表情で呆然と立ち竦んでいると、酒場のマスターらしき品のいいインカ族の男が近づいてきた。
いかにも貧しそうな、しかも、何やら様子のただならぬスペイン人の唐突な来訪にもかかわらず、マスターは決して疎外的ではない朗らかな微笑みを湛えて、丁寧に礼を払う。
もちろん、その内心では、隙の無い警戒心が静かに動いていたろうが、そのような気配は微塵も表には感じさせない。
マスターは温厚な笑顔のままに、リノに愛想よく呼びかけた。
「いらっしゃいませ、旦那。
さあさあ、どうぞ!
中へお入りなさいませ」
【はじめての読者様へ:登場人物のご紹介】
≪トゥパク・アマル≫
反乱の中心に立つ、インカ軍(反乱軍)の総指揮官。
インカ皇帝末裔であり、植民地下にありながらも、民からは「インカ(皇帝)」と称され、敬愛される。
インカ帝国征服直後に、スペイン王により処刑されたインカ皇帝フェリペ・トゥパク・アマル(トゥパク・アマル1世)から数えて6代目にあたる、インカ皇帝の直系の子孫。
「トゥパク・アマル」とは、インカのケチュア語で「(高貴なる)炎の竜」の意味。
清廉高潔な人物。漆黒長髪の精悍な美男子(史実どおり)。
本陣戦の最中に敵将アレッチェの罠にはめられて囚われ、現在は投獄されている。
≪リノ≫
トゥパク・アマルが投獄されている牢獄を監視する端役の番兵の一人。
スペイン人ではあるが、植民地生まれで貧しく身分も低く、正規のスペイン人将校たちが休息する深夜の巡回を担当している。
脱獄計画の一環として、トゥパク・アマルに、文字通り「抱き込まれて」しまったが…――。
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