|
カテゴリ:どうなる日本
昨年、年賀状はなんとなく作ったのだが、年始のメールで「今年も激動の年になるのでしょうか」と書かれているのをみて、
そうだ、今年は2012年じゃないか と、想い出した。 映画「2012」は2009年にタイで、そして日本でも観たのだが、ものすごい映像だった。 マヤ暦が2012年の冬至で終わっていることから、地球の終末だと一部で言われているものだが、映画の後はあまり気にもしていなかったのだが、そういえば・・・ いつの世も世界の終わりとかハルマゲドンとかが出てくる。 20世紀にはノストラダムスの予言、1999年の7の月が話題になったものだ、SF:サイエンスフィクションの世界ではかなり以前から題材になっていた。 これも1999年が過ぎてしまうと、今度は「あれは解釈に間違いがあった、13を足し忘れていて、本当は2012なのだ」との話も出てくる。 他にも20世紀末から21世紀初頭に大きな災厄、激動が起きるとした予言は多いが、 SF好きのoyajiはエドガー・ケーシーの話も好きである。 まだ見ぬ未来の予言よりも、生存中に奇跡のようなことを行ったことに興味を感じる。 彼について書いた本(1998年発行)を今見てみると、 20世紀の終わりから世界的な変化が起き、世紀末~21世紀初頭に終焉があるように書いている。この時このようなことも起きる。 The greater portion of Japan must go into the sea. (これをキーワードにネット検索すると、やはり、3.11と関連づける記事が出てきた。) ここまで来ると生前の彼の業績を信奉する人も、未来の予言は別物と区別するするケースが多いようだ。 世界の終焉がいつかなどと考えないにしても、最近の情勢をみるとちょっとおかしいのではないかとおぼろげに感じている人は多いと思う。 天変地異は全ての事象に関して遅かれ早かれ周期性はあるのだが、いつ来るか分からないことをとやかく言っても仕方ない。 ただ、人が意識して行う生活、活動に「これでいいのか」と思ってしまう。 2012年は大きな転換期になるのではないか、いやそうしなくてはいけない年なのではないかと。 この半世紀、多くの人は間違いなく豊かになった、一部の人は過剰なほど豊かになった。 その豊かさは「浪費」を生みだし、また「浪費」ゆえにより豊かになることを前提にしているともいえる。 多くの国は国力以上の国債を発行し、それをカバーするため今度はお札を大量に垂れ流し、溢れたお金が一部に集まり過剰な裕福さ・格差を生みだす。 アメリカ的浪費、アメリカン・ドリームを進めてきたのだが、 これを更に突き進めば、そこが世界の終焉かもしれない。 年の初めにいやなことを思い浮かべたものだ。いよいよ暗い性格になってしまう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.01.04 13:31:21
コメント(0) | コメントを書く
[どうなる日本] カテゴリの最新記事
|