検察の闇を暴露 あー、恐ろしや
舛添会見に出てきた、自称第三者の公正な弁護士さん。どういう立場のつもりで調査、同席したのだろうか。元検察だからと公正を強調したかったのか(舛添本人はそのように言っていた)、今は一介の弁護士だから、依頼人を弁護する弁護人だったのか。ま、元検察で公正さを前面に出し、検察を背負っての登場だったと思うのだが、検察がどんな取り調べをして判断しているかを暴露してしまった。記者とのやり取りを聞いて、唖然とした人も多かったのでは?彼が過去に調査して記者会見でどんなことを言ったのかにまで注目が集まっている。DVDでアメリカの犯罪物のTVドラマをよく見るのだが、「スーツ」のような弁護士を描いたものは、弁護人として無理やり半歳者側を無罪に持ち込む話になることが多い。一方、FBIや警察側を描いた物は、「キャッスル」「リゾーリ&アイルス」「ホワイトカラー」「NCIS」などは証拠探しがメインで、決定的証拠を示すことで一件落着。だが、「クローサー」みたいに話術で犯人に迫り事件を解き明かすものもある。この話は段々とやりすぎて犯人を陥れてしまうところまで進み、最後は主人公が解任されるのだが・・・「ロー&オーダー」のように警察と検察両方から描いた物もあるがこれはまだ見ていない。一方、日本の刑事もので大体出てくる話は、犯人は捕まえたが証拠は不確か。取り調べで自白に持っていくというのが結構多い。自白至上主義、これが冤罪を生んできた。明治、江戸まで遡れば、自白に拷問を使うこともあったろう。そして自白から証拠が見つかればいいのだが、証拠が見つからなければねつ造する、いや証拠調べもしない、となるともう最悪。それに似たことを元検察の方がおっしゃるものだから、驚いてしまった。「容疑者」の取り調べは、なんとか犯人である証拠を見つけ出して事実認定となるのだろうが、今回の「第三者」による依頼人の調査では逆の依頼人が犯人でないことの事実認定、つまり犯人である証拠を見つけない、ということ。物事の存在を証明することは比較的簡単で、存在しないことの証明はほぼ不可能と言われる。ニホニウムだって、たった1個見つければ存在した証明になり、見つからなくても存在しないとは言えない。理科学者は「存在しないとはいえないもの」を一生懸命、熱意をもって見つけ出そうとするのだが、元検察さんは、「存在しない」とは言い切らないが、存在しないみたいに伝えている。もちろん、言葉は選んでいるし、疑わしきは罰せずということもある。違法である、合法である、違法ではない、違法とは言えない、それぞれ意味が違う。要は、見つけようとするのかしないのか、熱意がどの程度かで答えが変わるということ。こんな検察だったら恐ろしい。まさにマムシ、食いつかれたら最悪命を落とす。(本当のマムシは悪意はないけど)証拠が先にあるのではなく、先に心証があって、それを固めるために証拠を見つける。心証に合わない証拠は見つけようともしないということになる。そんな恐ろしい現実をあの人は教えてくれた。