続・星の金貨
総合点:100 お勧め度:★★★★★(ストーリー展開)=9.8 (独自性・発想)=10 (映像)=9.8 (音楽)=9.8 (演技・演出)=10 チャーム度=10●1996年10月9日~12月25日 日本テレビ(全12回) 脚本:山崎淳也 音楽:溝口肇 プロデュース:梅原幹 演出:吉野洋、五木田亮一、大平太、古賀倫明 チーフプロデューサー:小杉善信●出演:酒井法子(倉本彩) 大沢たかお(永井秀一) 竹野内豊(永井拓巳) 細川直美(結城祥子) 西村知美(遠藤園子) 田中美奈子(小泉美和) 沢村一樹(矢上俊明) 戸田菜穂(川村景子) 丘みつ子(結城貴子) 主題歌:酒井法子 「鏡のドレス」 ●1995年に放映された「星の金貨」が非常に出来の良いドラマだったことは既に書きました。「続・星の金貨」はその続編として1996年に放映され、平均視聴率21%を取った作品です。インターネットの記事には、今でも根強い人気がある、とありました。●北海道へ帰った彩は、美幌別の懐かしい古びた小さな診療所で、秀一の弟・拓巳と共に地域の医療に当たっていた。やがて東京の病院で親友だった園子ちゃんが結婚することになり、その式に呼ばれて拓巳と共に、飛行機に乗って東京へと遣ってくる。拓巳はこれを機に彩と結婚するつもりで指輪を買い、ホテルの前の素敵な公園で彼女にプロポーズするのだった。 園子の結婚式に現れた彩の最愛の人・秀一は永世会病院で院長として忙しく働いていたが、妊娠した妻の祥子はもともと心臓が弱く、出産には耐えられない身体。けれど、子供が得られなければ秀一の心を得ることができないと焦る祥子は、無理をしてでも出産をと、担当医の矢上に頼むのだった。 結婚式が終わって北海道に向かう彩。空港への途中の道で火事があり、一人の少女が瓦礫の下敷きになって怪我をする。たまたま居合わせた秀一と共に、彩はその少女の手術に立会い、東京に残ることになってしまう・・・。****************ここから感想、ネタバレします*************************************●「星の金貨」はそれはそれで完結し、最後、含みを持った形で終わるのですが、一方、その時点で続編が作られることにもなっていたかのようで、「続 星の金貨」は始まりの時点で、「星の金貨」とは若干の年の不整合があります。ま、でも、それはよろし。「星の金貨」の終わりで、「ドラマ見たぞ~、満足! 」って感じがどうしてもしなかった僕としては、この「続」を見て、非常にすっきりとしたというか、満足感があり、そのこともあって、結論から言ってしまうと、このドラマには100点を付けることにしました。●「星の金貨」の最終話で、秀一が院長の息子ではなく、病院に預けられた孤児であったことが告げられます。この辺りから、続編の用意がなされているように感じますが、秀一が何故に永世会病院を辞して北海道での診療所で生きる道を選んだか、また、「星の金貨」の初回で、東京へ向かう飛行機に乗るときに始めて、彩への、そして北海道での生活に対する自分の愛みたいなものに気が付いて、彼が彩に、「必ず帰ってくるから、そうしたら結婚しよう」と言ったかの意味がよく飲み込めるのです。 こういう感じの「奥にそっとしまわれたかのような設定に関する」妙のようなものが、この作品では随所に現れてくる。 副院長の死で、「星の金貨」の最後で紡がれることになった悪の種ですが、ここでは矢上という男の登場で再度緊迫感が増し、矢上の欲望と野心を知ることになった川村景子が、矢上の陰謀で脊髄を損傷し傷ついた拓巳を次第に愛することになる想定も、なかなかに活きてくるのです。●ドラマはいずれにしても心理劇なので、その瞬間瞬間のセリフのありようは無論非常に大事なのですが、想定されている登場人物が、視聴者から見て当たり前の人間すぎても詰まらないもので、彼らの性格の中に、また、言葉の中に、何か期待させるもの、見ている側が教えられ、その結果としてすっきりとした回答を与えてくれる楽しさみたいなものが含まれて居なくてはいけないのです。 ここでは、秀一はどのような場面にあっても常に誠実で、他人思いの、心優しい優等生として設定され、拓巳は情熱的で本当は優しいのだけれど、時に自分本位でもあって、心に弱さを持っている青年に設定されています。彩は障害を持つが故に、普通の人に許された当たり前の能力さえ贅沢に見えるほどの生きようを余儀なくされるのですが、芯の大変しっかりした女性で、人間にとって本当に大切なものは何かをよく知り、自分の周りの人にも堕落の道を許さない強さがあります。 したがって物語の始まる時点で、北海道の診療所で、彩に「彩は何もしなくても、人に多くのものを与えているんだよ」と語った秀一の言葉が、物語のすべての方向性と秀一の性格と、彩が自然と秀一を好きになって行く行程の、真の深い意味の言葉のように思われるのです。●物語の後半で、彩は景子に突き飛ばされて道に投げ出される。そうして唯一の外界と繋がるべき情報器官であった目を遣られてしまいます。その目も、「角膜が遣られて、移植以外に見える事はない」と言われる。そうした暗闇の中で、彩は遂に心を閉ざしてしまいます。 秀一はその彩をプラネタリウムに連れ出す。心を閉ざし、何も聞こえず何も見えない彩に向かって秀一は、二人が初めて北海道で出会い、互いが心を開くようになった経緯を彩に語るのですが、この場面が非常に素晴らしく、その彼の僅か数言で、北海道での二人の生活ぶりが、すべて絵に描かれてしまうほど秀逸です。 これに続く場面で、プラネタリウムの帰り、裸足になった秀一は彩と舗装道路で踊るのですが、彩はそこで始めて、一緒に踊ってくれている人間が秀一であることに気づきます。彩と秀一はその夜を二人で過ごすのですが、そのシーンは大変清潔感があり、翌朝、裸の彩に衣を着せる秀一に、矢上の罠で警察に出頭しなければならなくなっている秀一に、彩が手話で伝える「私は貴方を愛しています」という場面は、これ以上無いほどの出来です。●やがて矢上は湖に沈んで幸福な結末を予感させるのですが・・・、この物語は辛い結末で終わります。拓巳と彩が北海道に帰る結末もあろうけれど、この物語は結局、「純愛」がテーマです。よって、終わり方は、二つしかないと思うのです。一つは本編のような終わり方。もう一つは、秀一と彩が北海道に帰って幸せに暮らすものです。 このドラマを知らないままに、僕は韓国ドラマを既に60近く見ていますが、「天国の階段」でテファがチョンソに角膜を挙げるストーリーも、「悲しき恋歌」で、ジョンヨンが最後に死んで、その子を宿したヘインが一人で子供を育てるストーリーも、それはそれで秀逸でしたが、それらはこのドラマが作られてから5年以上も後で作られている・・・。(多くの物語を見て研究している韓国ドラマ作家が、「星の金貨」を見ていないはずはないのです・・・) そうしたことを考えてみても、1996年当時、このスタイルのストーリー展開のドラマで、この終わり方で、既に日本でこういう優れた作品が出来ていたことは素晴らしく、何か非常に嬉し思いがしました。だから、物語の進行に多少の違和感があっても、また、多少の荒唐無稽さがあっても、100点ということにしたのです。(無論、韓国ドラマは大好きだし、「天国の階段」や「悲しき恋歌」が素晴らしいことに変わりはないのですが)●この物語を見たのは2006年12月の最後で、会社も休みということで、改めてドラマとは何かをいろいろと考えてみたのですが、耳が聞こえず、よって喋ることも難しく、女性としては小柄で普通なら保護してもらうべきような存在の彩を主人公に設定している点、その彩が同時にとてもしっかりとした芯のある女性であり、自分をとても大切にする女性であり、生活態度が凛としていて他の人の生き方の範たりえ、何かと問題のあった拓巳の生活態度を一変させて行く点、けれど、人間より半歩神に近いところに住んでいる彩には、真に心を寄せるべき存在は秀一であること・・・、主人公3人の心理的設定において、このようなジャンルでこれ以上の物語を作るのは、至難の業ではないかと思えてきたのです。●このドラマが作られた当時、酒井法子さんは既にアイドル歌手として有名になっていましたが、秀一を演じた大沢たかおさんも拓巳を演じた竹野内豊さんも新人だったそうです。これには大変驚かされました。彼らの演技もまた、素晴らしかった。 酒井さんも大沢さんも彼ら以外では成り立たない嵌り役だったのですが(大沢さんの演技で特に良かったのは「星の金貨」を語るときの演技と声(ある意味ちょっと気恥ずかしくなるようなせりふでもあるのに)、また、酒井さんは、笑顔と、拓巳に対峙しての厳しい表情、結婚式での真っ直ぐな姿勢と笑顔が実にチャーミングだった!)、特に拓巳の役は非常に難しい役回りで実力が要求され、それを演じて寸分無い出来だった竹野内さんに、このドラマでは特別の拍手を送りたいと思っています。●主題歌について。 このドラマの主題歌は「鏡のドレス」で、歌詞が良く、好きな歌の一つなのですが、物語全体を語ってこれ以上ないほどマッチしていた「星の金貨」の主題歌=「碧いうさぎ」に比べると若干の減点が感じられるように思います。が、ドラマ制作側は首尾一貫しているようで、「続 星の金貨」の中では「碧いうさぎ」は使っていない。視聴者としては、これぞ、というところでは、本当はあの旋律を使って欲しかったのですが・・・。 手塚治虫の「ブッダ」というマンガの最後の巻に、お釈迦様が聞いたことのあるお話として以下の話が載っています。 旅をしてきた或る貧しい老人が、砂漠で飢えて倒れている。そこにクマと犬とウサギがやってきて、クマは川で魚を採ってあげ、犬は地面を掘って植物の根をあげ、最後に何も与えるものの無かったウサギは、火を起こしてもらい、そこに身を投げて自らの身を犠牲にする。 僕がこのお話に出会ったのは、小学二年の頃だったと思うけれど、この逸話は人間の存在とその意味について語りかけるに大のお話です。ここで歌の主題に言う「ウサギ」には、この物語が背景にあるのでは、とちょっと考えてみる次第・・・。 彩はそうした境地で生きているという訳ではないだろうけれども、人間として生きるのに、過剰な欲望が他から透けて見え隠れする人間は、美しく生きてはいないように見えるものです・・・。(男と出会ってすぐに身体を預け、肉体的な享楽も容易に得て行ってしまう女性像が、「星の金貨」の最初では何人か描かれています。そうしたことをしない彩との対比が、大変旨いのです、このドラマ)●物語の最後、秀一を失って一人になった彩は北海道に帰る。秀一の子を宿している・・・。 たった一人で生きなければならないよりもずっと幸せではあろうけれど、障害のある彼女には、これからも大変な道が待っているのです。 物語のエンディングで、今は永世会の院長となった拓巳が、グラスにワインを注いで「星の金貨」の話を語り始めます。(この語りの声がいい!) その話は受け継がれて、今は星となった秀一が続きを語り、そして最後に彩がそれを手話で繋いで行く。彩にとって「星」であった秀一は、今は本当の星になってしまい、同時に「星の金貨」そのものにもなっています。 最後に彩が両手を空に広げるエンディングは、本当にすっきりしていて素朴で愛すべきで、気高いものがあり、話としてのまとまりがあって、大変良く、嬉しかった。 この物語は、何か自分にも辛いことがあったとき、世の中にはこんな物語が本当にあったんだな・・・、と思わせ、僕は真の勇気みたいなものを貰っている気がするのです。 人間の生き様は千万通り・千億通り、ドラマのシナリオも形を換え、品を換え、所を変えてこれからも描き続けられるでしょう・・・、そのラセンに「終わり」という言葉はないのでしょうけれど、僕にはこのドラマ、一生で出会える幾つか、と数えられる程大変印象的な一遍だったのです。