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テーマ:ひとりごと(15081)
カテゴリ:いろいろなことで悩もう。
※前回(7/26付け)の日記の後半に入るべき内容だったのですが、これもまた長くなりそうだったので、独立した1編として記しておきます。前回の続き、もしくは派生だと思ってください。
募金にしても、「恵まない人に施した」自分を偉いと思う、そんな自分が好きだ、という意識は、はっきりと思ってないにしても、どこかにあるんじゃないか。 一円、十円、百円くらいまでなら、コンビニのレジの横の募金箱に入れるでしょう。 それが五百円くらいからしぶり始め、千円募金すると大英断、一万円になると、周囲の視線は「お前、正気か?!」というものに変わり、そんな視線を浴びてる自分を誇らしく思う。 ああいったところの募金箱は透明で中が透けて見えますから、一万円札は目立つ目立つ。 自分の名前を書いとくわけにもいきませんので、「無言の勲章」といったところでしょうか。 しかし、あの募金箱も、一万円札が入ってるから「おお~ッ!!」て思うわけで、一円玉が一万枚入ってたとしても別な意味の驚きはあっても、上記の様な「おお~ッ!!」はありませんな。 どうしてでしょう、同じ一万円なのに? もっとも、一万枚全部同じ人かどうかわからない、ということもあるでしょうが。 年末の街頭での募金活動だって、一円玉を一枚一枚入れてったら、 「うぜーんだよ」って箱を持ちながら思ってるお姉さんもいると思う。 もっとも、「その入れ物ごとこちらにお渡しください」って言われるだろうが。 そしたら、「すみません、この入れ物、また要るんです」なり、「これ借り物なんで返さないといけないんです」となり言ってみればどうだろうか? 要は、1枚づつ箱にいれないといけない状況にしてしまうわけですな。 そしたら、一万円も募金してるのにかなり迷惑な人になるぞ~。 ※まぁ、募金箱の上部(下部なのか?)をカパッと開けて、そこからダダダッと流し込むことになるでしょうが。 話を元に戻そう。 「金額じゃないんだ、善意なんだ」なんて言いますが、果たして一円の募金と一万円の募金は本当に同格だろうか? 一万円の募金をした人のすぐ後に、胸を張って一円の募金ができるだろうか? できる人もいるでしょう。 その人は立派。 でも、「あの人は一万円なのに、私は一円……」なんていう引け目を感じる人もいるはず。 いや、こっちの人のほうが多いと思う。 そこには「募金は金額なんだ」という意識もどっかにあるでしょう。 それよりも「いいことをしている自分が好き」だったり、「いいことをしている姿を多くの人に見てもらいたい」という意識があるのだと思います。 そもそも、いいことをするのに特別なアピールをする必要はなく、別にみんなが「あしながおじさん」みたいにそっと寄付してもいいはず。 ましてや、多額の寄付をして、その施設に名前を遺す必要もない。 有名人が集まってイベントを起こす必要もない、と思うんですが。 つまり、「いいことをしたことで自分も満たされている」ということになるんだと思いますが、どうでしょう? 言い換えれば、「自分を満たしたいがためにいいことをする(たまたまそこに、いいことをして満たされる対象があった)」ということにもなりますが。 編集後記:今回のオイラもひねくれている。展開によっては荒れかねん。 編集後記2:また派生して問題が出てきたが、それはまた別の機会に。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 29, 2005 09:29:39 PM
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