朝。何じゃコリャ、と海を見て叫んだ。どっしりとではあるが鉄の錆びた血生臭い海と波の色。小石ごろごろの浜辺に座り、コップ一杯いくらのヤシの酒を飲む。ポルトガル時代の要塞が見え、ミンダナオ島のスペイン城塞を彷彿させる。機械より人件費のほうが安いというインド的理屈作業で砂運びをしている人海戦術軍団や漁の網を修繕する漁師軍団をぼんやり見ていると、ひとりの青年が寄ってきて何かを話し掛けてくる。素朴でもなく興味深そうでもなく、淡々と世間話らしきものを海を見ながら話し掛けてくる。裸足の足を貝殻で切った様で、意味もなく砂を塗りつぶしている。薬を塗りつけるように。
町は静かだ。戦火の中の束の間の休日という感じもするし、圧政者が去っていった後の静けさという感じもするが、実際、日曜日の小学校以上に静かである。車さえない。ときどきベスパ。雀の囀りと、子供のおしゃべりと、歩いて道を擦る音ばかり。レストランとバーとホテルとアイスクリーム屋ばかりなのである。禁酒のグジャラートで唯一解禁されているこの町は海以外の三方を鉄線で囲まれた、囚われのオアシス。外国人は見掛けないが、酒飲みツアーに来たグジャラート人が昼間から、時間が惜しいとばかりに飲んでいる。遠慮深く親切な現地の人。
そういえば、ダーマン駅からの道中、有刺鉄線にはさまれた1本道をやってきた。両脇は荒涼とした沙漠地帯であった。グジャラート州は大麻には大目に見ても、禁酒の州である。ここと、ディウという街だけは飲めるらしく、時間を惜しんでインド人旅行者は飲んでいる。
ヌボーッと夕日は海にはまる。波内際ぎりぎりを歩くサリーの女性。茶色に金色の入った高貴なサリーが砂浜に足音を残して、夕日に映える。美しい。美しくて切ない。
砂浜に来る人、帰る人。星が遠い。海がどす黒くなっていく。良きノスタルジーのために。故郷に二度と帰らない決意を込めたロシアで生まれた言葉に誘われる。寝て回復するような疲れであってはならない。そこに救いがあってはならない。それ以上衰えのない状態で、ただ時間を潰す無気力を維持し続けるアウトローのために。精力的に怠慢なアイロニーが旅の魅力なのだ。などと呟いてみて、私はホテルに意味もなく戻って行く。
ショルダーバッグひとつの旅を終えようとしている。
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最終更新日
2022.11.01 22:05:22
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