子供の頃、タクシーが通った後のLPガスの臭いがたまらなく好きだった。
しかし、近所のガキ大将(という言葉があった)で頭の中が多少不自由な(という表現はなかった。当時の表現でいうとノータリン)Sも同じようにタクシーを追いかけて深呼吸して、「ん~、ええにおいや」といって満面至福の笑顔を見て、まねはすまいと幼い肝に銘じた覚えがある。
あなたからチャクラーもらいたい。ワタシチェルシーあげたい。
ワタシの幼馴染に先程と違うS君というのがいた。ややこしいのでS’君にしよう。家が3件隣の同級生ということもあり、幼稚園までは毎日一緒に遊んでいた。s’はワタシより賢かった。ワタシは「ゲンキモリモリ」と書いたつもりが、「ぎぇんきみょりみょり」と書いていたが、S’はちゃんと「ひとつぶさんびゃくめーとる」と折込広告の白紙の裏に書いていた。
やがて、彼は、小学校2年でどこかに編入していき、灘中に入学した。時々会ったが、ニキビが酷かった。
やがて彼は東京大学(理系)とお決まりのコースを行ったが、枕草子にはまってしまい、就職はせず研究を始めたのであった。
その後のことは知らない。しかし、その後の彼の人生は、それまでの親の決めたレールを外れ、自分に正直で、格好いいものだった。
ワタシ?ワタシは一度も親に勉強しろと言われたことがない。中高校も大学も、願書を出すまでどこを受けるか知らなかったのであった。
しかし、その後のワタシの人生は。いつも今がスタートとノータリンなことをいっている。
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