今までで一番情けない警察の捕まり方
その年の夏、夜1時25分。家から一番近い煙草の自動販売機まで100メートル。
原付に乗る。偶然、見回り巡回中のオマワリ2人組に遭遇してしまった。「あちゃ」
ノーヘルで止められた。免許不携帯。
「あの、すみません、家はあれなんです。ほら見て下さい、手に握っているのは240円です!煙草代です」
「仕事だからねえ、じゃあ家に免許取りにいってもらあおうか」
「それから、これ見て下さい、上半身裸ですし、下はパンツ一丁です」
「キミ、それは厳密にいえばわいせつ罪だよ」
オマワリは無情にも違反通知書を出した。
最後の祈りで
「見逃して下さい。これからは100メートルなら歩いていきます」と訳のわからないこと下出に言うと、
「きみねえ、本当はノーヘルに不携帯に軽犯罪法違反なんだよ、それを1点にしてあげようというのだよ」
と押しつけがましい態度を露骨に出していい放ち、こんちくしょうと一瞬思ったのだが、まあこんなに夜遅く仕事を忠実に励んでおり、ノルマ達成に日々努めているのだなあと、自分がまるで関係ないように優しい気持ちになったのであった。
パニョワールいわく、笑いは勝利の歌である。
ベルグソンいわく、笑いは、生けるものの上に貼りつけられた機械的なもの。
フロイトいわく、笑いは余剰エネルギーの放出である。
梅原猛いわく、笑いは異なった意味または価値領域に属する2つのもののコントラストによる価値低下の現象。
岸田秀いわく、笑いは、共同幻想の崩壊または亀裂によって起こる、それが要求していたところの緊張からの解放。
doimoiいわく、最近、耳掃除のために棒を耳に突っ込むと、何故かえずく。
我々は不必要な物事や思考でいっぱいになっている。
ただある空間を生み出す必要がある。
ただある時間を作り出す必要がある。
成長とは崩壊だ。
しかし同時に肯定的である。
肯定性は中心にあり、否定性は周辺にある。
存在は、その間にある。
欲望は紛れもない騒音だ。
対象がああるから生に対して欲求不満に陥らないで済んでいる。
欲望の不毛性に気が付けば、内面の何かが落ち、新しい次元に変容する。
なーんちゃって、ははは。
いーひひひひりーべでぃひ、ウフフ、エッヘン、オッホン、ケセラセラ。
笑いに目覚めたら、生きていることがいかに馬鹿げたことか分かるのだろう。
失望と苦痛、そして自分自身を笑い飛ばす、いいねえ~。
http://www.chakuriki.net/
http://adventurers-guild-japan.f-o-r.net/ippatu/
http://www4.plala.or.jp/hiro_k/Report/Present/p168_top.htm
4件隣の人
小学校3年のとき、3才年上のN君とM君と3人で、近くの原っぱでバトミントンをした。M君は少し太っており、N君は小学3年の私から見れば大人びた雰囲気の小学6年の人で何故かにやけていた。M君はバトミントンの羽根が遠く飛んでいってしまい、やれやれまいったなという顔をしてラケットにもたれ掛かった瞬間に、ポキッと折れてしまった。私のラケットであった。2人の存在は知っていたが、(M君は4件隣に住んでいた)遊んだ記憶はこれしかない。
私が中学生になったとき、M君は高校生になっており、学区内で2番目にランクされるS高校に通っていた。彼の家の壁には2羽のツバメのタイルが貼られていた。
ある日、M君は、電気の入るタイマーをセットして、朝5時に突然命を絶ってしまった。
尾ひれはひれついていると思うが、その朝、新聞配達員が、その時間帯に、彼の部屋の窓から白いもやのようなものが昇天していくの見たそうだ。
それは、多分、ツバメのようだったのだろう。
彼は自殺した。
十年後、私は表札を見た。他人の名前に変っていた。
二十年後、私はまた思い出した。M君の肉体はもうこの世に無く、私の記憶の中で、ラケットを折ってすまなさそうに笑っていた。
今日もまた、トリートメント流すのを忘れて出かけてしまった。もらったテッシュでふきまくった。アルツ進行中か孤高の人ならぬ恍惚の人になりつつあるのか。記憶がめくれて古い記憶が表に出てくる感じだ。
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