温泉フリークの私が黙っている訳がない。今まで行った温泉の数、数百÷百。
黒川温泉に足を伸ばしてきた。
はっきりいって全国人気ナンバーワンといわれた湯布院の横にあり、湯布院がメジャーになり過ぎて、隠れたナンバーワンといわれた(私が勝手に言っているねんけどな)温泉である。都合のいいデータばかりを作為的に集めると、ナンバーワンに勝手に近いのである。勿論、私が今度行く温泉も都合よくナンバーワンになる予定である。
ここでは3位
ここでは西日本1位
かにを食べられるでトップ
日経新聞で1位
温泉教授の温泉ゼミナール(光文社)の先生
身銭を切ってのいい宿
小泉首相もメルマガで
黒川温泉の隣はイラクである。
黒川温泉のドンの
「新明館」の外湯に入ってきた。
23歳当時の後藤哲也氏は、「負けたくない、負けちゃちゃいかん」という一心だけだけで、温泉を掘って「新明館」を作った。
後藤氏の有する「新明館」は、狭い土地にへばりつくように建ってる建物しかなく、敷地を広げるのは物理的に不可能だった。しかし、お客さんに喜んでもらうにはどうしたらよいか、後藤氏は必死に考えた。
そして、身内の猛反対を押し切り、一人で裏山を掘り始めた。しかも、掘り始めた当時は、電気ドリルもない時代、岩質が柔らかいので、ツルハシさえも使えなかった。仮オープンまで3年間、今の形になったのは、裏山を掘る決意をしてから10年後の歳月を経た後だった。
起死回生の起点となった洞窟風呂の入り口には、約50年前にこの風呂を一人で掘ったことが記された看板が立てられている。そこには、「お客さんに喜んでもらおう」とただひたすらに頑張りました。」とあった。「鶏優先」という看板もあった。
勿論、私は、500円で混浴の洞窟風呂に入ったわけであるが、誰も入っておらず、見学者が引っ切り無しに訪れ、私の裸体に惚れ惚れして帰っていく姿を認めるに過ぎなかった訳である。きっとそのうち50人の美女達が入ってくるであろうと密かに期待もしていたのであるが、50年前に美女であった元美女達のみが入ってきて、またまた私の裸体に惚れ惚れしたことは、トップシークレットである。
帰りには大根10本280円をアメリカ農場で購入して土産盛りだくさんで海外旅行を終えた1日であった。
明日買いに行く本