先日に続き、大阪オフィス街レトロを爆走してきた。散歩どころではない。私は、ヤボヨウの通りがかりで、大阪淀屋橋周辺から北浜を越え、天満橋に至ったのだが、食後の散歩であり、全然腹が減ってなかったので、頭の中にある、戦火を逃れ、まだ潰されていないいくつかの近代建築を巡るめく巡ったのである。巡っただけで、詳しい説明はないのである。疲れたので終了。
北浜のミツイスミトモギンコー。古典様式の銀行建築の最後の姿。昭和11年建築。
青山ビル 大正6年。個人の住宅として建てられたスパニッシュ風の建物だが、今は老舗の喫茶店や中華料理店として使われている。蔦が正面全体を覆っている。この中華料理店に文庫本を忘れてきたことがある。
伏見ビルディング。昭和3年。青山ビルの隣。
大川の中ノ島の端っこ。奥は、堺や太一事務所がある。元民間大臣のこの人が「団塊の世代」という言葉を作ったんだよね。
大阪証券取引所。株式の立ち売りがなくなり、この取引所は役目を終えた。現在この建物は解体修復を終え、2004年12月にグランドオープンし、何とかファサードだけ保存したとのことであるが、一番の売りであるこの正面玄関だけ残しておけばあとは何でもいいやという考えである。
新井ビル 大正11年。旧報徳銀行。現在めしや。新井ビルのHP見て、飯食いに行ったことがあることを思い出した。
辻調理師専門学校 大正15年。元大林組の本店。現在、
大林組は道の向かいにある。
これは新しい。多分、エセ近代建築。
敵塾、いや適塾。適塾は全国から駆けつけた塾生にあふれ、談論風発の気風はその後の明治維新の激動の中、日本の運命に大きく貢献した多くの人材を輩出している。そんな塾生には福沢諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲などがいる。今は、前に車も路駐である。