市場から、バイクタクシーに乗る(といってもどこにいくにもバイクタクシーに乗る)が、誰が商売か分からないし、アルバイトやついでや片手間でやっている人もいるのではないか。私が乗ったおばちゃんも、何故か、買い物帰りという感じで、大根などの食料品をハンドルにぶら下げていたのだが、愛嬌か。車より早く、風を感じ、信号無視し、速い。何より危険なところがシブイのである。
入口には、特有のだらしない犬が寝転んでいる。入場料120円。
収容所の監視は天井から。
捕虜拷問足かせ
捕虜目潰し
捕虜ギロチン台
日本でも反対。べ平連の3原則は何にでもあてはまる。1.やりたいものがやる。2.やりたくないものはやらない。3.やりたいものは、やりたくないものの足をひっぱらない。やりたくないものは、やりたいものの足を引っ張らない。
戦車
飛行機墜落の瞬間。やった!と思わず思ってしまう。
ヘリの中
沢田キョウイチ。安全への逃避
石川ブンヨウ。「戦争カメラマン」の分厚い文庫本で一番強烈な写真だったことを思い出す。
ソンミ事件。504人の村民をアメ兵が大虐殺。
枯葉剤(エージェントオレンジ)
枯葉剤
30年(米軍とは10年)、日常が戦争であった。結局民間人の方が倍以上も殺されている訳だよな。
ベトナム戦争は、報道関係者に開かれた戦場であった。アメリカ・北ベトナム双方がカメラマンや新聞記者の従軍を許可し、彼らは直に目にした戦場の様子を社会に伝えた。泥沼化する戦場の様子や北爆に関連した報道は、テレビ局や新聞社が自主的に規制する風潮が高まった。またアメリカ政府も戦場報道の重要性を認識し、以降、湾岸戦争を初めとしてメディアコントロールに力を注いでいくこととなる。そのあたりだけは、まだ今よりましだったのだ。
インドシナ半島で戦死したジャーナリストは、第一次インドシナ戦争から中越戦争までで172名に上る。内、ベトナム人が72名、アメリカ人22名、フランス人19名、日本人15名。
B29も沖縄から出て行ったし、国鉄も荷物を運搬したし、羽田空港も軍用機が離発着したんだよな。
さすがに、ベトナム北軍の悪戯展示物はなかった。