私は、高校生のときは、世界史を選択していたので、日本史については中学生ラベルしかないので、その知識を補充するために、わざわざ大阪に行く、というか、仕事で毎日大阪に行っている。
決して人形を見に行ったわけではないのだが、私の前にはすぐ人形が立ちはだかるという構造になっている模様で、昔の難波宮では、飛鳥時代奈良時代では、女官は大きなうちわを持っていた。
男性諸氏はしゃもじを持っていた。この博物館自体、難波宮跡地の一部に建てられているということである。
難波宮跡地は、こうやって、大阪市中央区で、見ることができるが、しっかり何もない。
まあ、しゃもじというか、シャクは、カンニングペーパーをシャクの裏に貼っていたようであります。
来場者は、日本人より韓国人の方が多いぐらいであった。暇そうな西洋人も仕方なく来ているような感もある。
韓国人カップルは、着替えをして、写真に収まっているの構図。
ミニ人間たちよ、ああ。ミニっこたちよ。
ブラブラ見ていると、そういえば、日本が開国したときに、比較的スムーズにいったひとつに、まれな教育の質の高さがあったと思うのだが、近年は、ほんま、教育の質の低下や、教育費の高騰で、憂国だ。
同時に、私は、フィリピンのことを思った。私にとっては非常に思い入れのある国で、アジア唯一のラテン系のチャランポラン国家なのだが、実は、アメリカの庇護もあり、1950年代までは、アジアで一番裕福な国だった。勿論、日本より裕福であった。
当事、フィリピンの庶民の生活レベルは高く、、大学進学率は世界で1、2位を争うレベルだった。現状、そんな国だった面影もない。いったいどうしてこうなってしまったのか、原因はいくつか推測されている。
アメリカ型の学歴社会だったために、国が豊かになってどんどん好き放題に大学ができて、大学に簡単に入れるようになったために、反対に学力低下が起こったこと。
英語が公用語だったために国が落ち目になった際に優秀な人間がアメリカにみんな逃げ出したこと。どんどん人材が流出して行った。これは、今でも続いており、アメリカにはフィリピンの看護婦が多くいるが、それだけでなく、単純労働者としてもアラブ各国に肉体労働者としてでかけたり、船員もかなり多い。
そして、マルコスが腐敗独裁政治を長期間にわたって行ない、華僑から奪った資産を一族でわけあったり、世襲に近い政治体制にしてしまったので、、優秀な人材が嫌気がさし、賄賂が横行したことである。
なんだか、どこかの国を暗示しているようだ。まあ、人材流出というより、外資がどんどん入ってきて、外資が勝手に無茶苦茶になって、かき回されている感があるのだが。
世襲が必ずしも悪いものではないかもしれないが、いずれにせよ、政治家のみなさん、日本の将来のことも考えてください!と思わず、当たり前のことを思ってしまうのであった。
橋の上には、ペラペラ人間たちがいる。こういう手抜き人間は、私の趣味ではない。
ペラ船頭
ペラ旗振り
ペラ水こぼし屋
天国地獄は、永遠のテーマのひとつ
ところで、エコエコとマスコミが垂れ流し的宣伝をしている反面、エコロジーここがおかしいといった本のほうが、エコしましょうという本より売れているらしい。いい悪いではなく、エコエコ推進の根拠などの説明がなさすぎるから、一般の人は疑心暗鬼になっているということだよな。
まあ、そんな訳で、大阪難波宮も前期後期とあり、実は前期で10年ぐらい、後期で1年だけ、大阪に都があったのであった。しかし、この難波宮跡が発見されたのが1960年代というから、比較的最近のことである。そんな訳で、大阪人でさえ、大阪に都があったことを知らない人間も結構いるのである。