長年お世話になっている両親をたまには接待しなければならないという使命感が、常に私の中にあるといえば嘘であるが、それと、もう人生の半分ぐらいは、経済的にだけはお世話になっていないが、まあ、旅行ぐらい連れていったるわ、というきおとであった。(即座に、一家の主である、父は、家を守るために、拒否。飛行機に乗ったことはないどころか、パスポートも持っていない)
2年程前には、台湾に連れていってあげるよというと、母も喜んでいたので、1週間前に再度連絡を入れると、山に行きますから、行けません、と言われた。
反省点としては1ヶ月も前に言ったからではないかと思うようになり、今回は、慎重に2週間前に提案してみたのであった。ヨセミテいこやと。何と、親孝行なのだ。自画自賛である。
オカンからのメール。「いってあげてもいいよ」
しかし、初めての日本でいうところのシルバーウイークというもの、ドールデンウイークのときにインフルエンザを危惧したニホンジン観光客がびびって、こぞってこの秋の旅行に変更したために、大混雑なのだという。というか、大混雑だ。
月曜、さすがに、出発の週というのに、どこにいくかも息子から連絡がないので、行かれないんちゃうか、と言われた。私は、胸を張って、応えたのであった。
「今回のコースは、ナイアガラの滝を予定してます。カナダのトロント経由して、ナイアガラに行き、そこからアメリカのバッファロー空港に行き、そこからワシントンDC経由で日本に戻ります。私のおごりです」
おまけに、カナダ在住のハルジ氏の手伝いまで頼もうなんて、甘い考えも密かに考えていたぐらいであった。
メールの返事がオカンから来た。
「もうナイアガラには行きました」
火曜日、急遽、予定を変更し、いろいろあさってみたのだが、アジア方面やヨーロッパ方面はスコブル満杯状態だ。そして遂に、私は、この日は、何の予定もださなかったのであった。
水曜日、遂に私は、オカンに、ようやく出来たスケジュールをメールした。
「成田まで飛び、そこから、シカゴ経由でニューヨーク、帰りは、ニューヨークは2泊で、帰りはサンフランシスコ経由で関空に帰ります。二泊ですが、夜着早朝発ですけど。ちなみに僕のおごりです。」
メールの返事が来た。「飛行機乗りに行くの?」
木曜日、大変な事実が判明した。「オカン、東京に行けません、すべてが満席です」何と、国内線が満席だったとは、私としたことが迂闊であった。自家用ジェットは貸し出し中だし。急遽、オカンにメール。「成田に行けません」
金曜日、関空発新たなるマスタープランができた。意気揚々と、オカンにメール。
「関空夕方集合です。お喜び下さい。ちなみにぼくのおごりです」
おかんよりメール「もうどうでもいいよ」
それにしても、だ。私が10にも満たない子供の頃、子供ゆえにかも知れないが、家族というもの、その周りを取り囲むもの、といえば、貨幣経済ではなく、資本主義でもなかった。家事手伝いにしても、小遣いほしさや、小遣いを餌に、皿洗いや洗濯物の手伝いをしたわけでもなかった。
金は、父親が、どこからか、1日の半分を費やして出かけて、ふんだくってくるものであって、お金を見るということもほとんどなかったか、10円とか30円といったものを手に駄菓子屋ではないが、パン屋に言ってに行ってに行って、甘いお菓子を買い、舌の色を変えて喜んでいたのであった。家族でレストランに食事に行くこともなかったし、ファミリーレストランぽいものもなかったような気がする、あったかも知れないが、それは、親に極秘裏にされていたのであった。
考えれば、ここ20年ばかり、物価は上がっていないどころか、100円ショップや、モノによっては、大幅に値下がっている。そこを不思議に歯を食いしばって、真面目に働き、学生時代に比べれば収入も上がっているというのに、増えた感じがしないのである。でも、多分あるだろうと、思い、500円の宿を7000円にグレードアップしているのである。しかし、3,4ヶ月で20数万円の金を使った学生時代よりも、滞在日数が減った分、そんなには使わないのである。
それはまあいいとして、今の子供たちはどうなのだろうと思うのであった。
まさかとは思うのだが、レストランに行ったり、どこかに買い物に行った時、ウエイトレスや店員がヘコヘコする姿を見て、子供心に、金が一番えらいと思うのであろうか。
モノ心ついた頃に、金銭的損得関係を換算して(感情的損得は、赤ちゃんの頃からあるけど)るとしたら、確かに、働いて僅かな金を得るより、少なくてもいいから生きていける程度であれば、親の金をあてにする人間がでてきてもおかしくないかもしれない。親の家にいれば、そして一日中食べるだけなら、数万円で済むことだろう。毎日出かけたり、仕事して怒られたり、疲れりして10万20万得るぐらいなら、寝ていたほうが得じゃん、と密かに考える奴が出てきても不思議ではない。
親が健在である間は、世間体ぐらいだ。その冷たい視線に耐えることが、自分の収入(めしと、ちょっとのお小遣い)である。
しかし、こんな純粋ニートは1世代かせいぜい二世代までである。その後、それは、この日本では技術力しかない日本で生きていくのは難しい。
東南アジアは、職もなく酷い状態だが、自然の恵みが食を助けてくれている部分がある。特に昔はそうだった。そうだったから発展しなかった。大量に魚が取れたら3日休みになり、手を伸ばせばバナナが食えた。それが、現在では富の偏在で、そういうわけにもいかなくなっている。
期待するのは、温暖化か。温暖化により、日本の気候が東南アジアのようになり、食えるようになるか、いや、もはや、他人の農地、他人の土地だ。勝手なことはできまい。ん、東南アジアは、伐採しつくし、富が偏在し、アフリカにようになっちまうのか、温暖化すると?
そんな感じで、サンフラン、オカン、と言ってくるわ。バイバイ・・・・・・1泊やけど。
2009年9月オカン収賄旅行サンフランシスコ
アメリカ招待旅行に寄せて
アメリカ招待旅行1
サンフランシスコ散歩
アメリカンドリーム
アメリカ招待旅行2
アルカトラズ島前編
アルカトラズ島後編