小中学生を通して、2泊3日ぐらいの車での旅行を4,5回家族旅行の一員として、連れて行ってもらったことがある。
10歳の夏の行程。神戸から下関まで夜行フェリー。関門大橋及びトンネルで往復し、山口県、秋芳洞、岩国で1泊、広島を経て、地道を通って帰ってくる(中国道の完成は1983年)という行程であった。
小学生4年の私としては、帰ってから、当時流行の模造紙に、行程、地図、写真、感想などを書き込み、毎日、お土産に買った秋芳洞の絵葉書を眺めながら、カッコイイナアと贅に入っていた幸福な小学校4年夏時代であった。どうやら、紙上旅行部はこの頃から芽生え始めていたのかも知れない。
しかし、細部に至っては30年も経過すると、あやふやなものとなっており、ましてや自分で運転した訳でも調査して行った訳でもないので、旅行の醍醐味、移動部分がすっぽり抜けているのであった。
特に、駐車場からお土産参道というのを全く覚えていない。
子供ながらに、洞内の方向というものを持っていて、何故、黄金柱がこちらに、向いているのか!と思った。
こんなガキ向けのコースはなかった。これは、確かだ。新しいアトラクションである。
それに、記憶の順番が違う。百枚皿は、もっと奥にあったような気がしていた。
洞内の一番奥が、岩窟王だと思い込んでいたが、まだ奥にあった。
マリア像なんか、なかったぞ。多分、絵葉書になかったのであろう。
この柿やマッタケももっと光っていたような気がしたが、多分、それは、帰ってからの絵葉書の記憶だったのだなと思う。
小学生時代は、千町田は、他のアトラクションに比べて、地味で、シーンという感じであったが、今見ると、なかなかこれはこれで、味わいのあるものであった。
しかし、大きく変わったのは、観光客に韓国人や中国人が多数を占めるようになったことだ。
それにしても、小学校の時、初めて鍾乳洞に入ったからかも知れないが、カイイイイ、シブイ、カンドーした!という意見を持ったが、モウロクジジイ間近の今となっては、そしてその後の人生で、20近くの洞窟に入ったわが身としては、記憶は美化されていたのだなあ、と感じるのみであった。
初めて感はなかったが、懐かし感もなかったというのが正直な感想。
そして、今や、私も、一家の大黒柱になっているということだ。鍾乳石と石筍が一体化したってことだろう。(コレができるまで1万2000年)
参考画像
福岡から山口へ2009年
下関へ
秋芳洞再訪
秋芳洞再訪2