インチョンでなく、金浦空港に到着した。日本から1日5便だけ、金浦に入っている。大阪からは2008年から入っている。羽田みたいな感じか、こちらのほうが、市内に近くてなんだか嬉しナツカし。最後に来たのが90年代(仁川空港開港は2001年)で、感慨深くも
初めて来たのが86年だった。
金浦空港には、今は、ディスカウントスーパーと映画コンプレックスが併設されており、それなりに楽しめるところであるらしいが、ついうっかり、昔、テントを張って寝たごみ置き場を確認することもなく、そのまま地下鉄に乗った。
あの夜、荷物背負って、バスに乗り、午前0時を過ぎて空港に向かう。人は全員降り、うっかり、空港を通り過ぎた後、終点に着いてしまい、バスの運転手に空港は?と聞くと、アチャーと顔を抑えたおっちゃんの姿を覚えている。そして、乗ってけ、と何故か、バスを運転して5分ぐらい走り、空港前まで連れて行ってくれた。最終便だったのか、バスをタクシーにしてくれてありがとう。こういうことで、その国のファンになっちゃうっていう旅行者の単純さよ。
あの世、バスを降りて、空港に入ろうとすると警備員に止められて、準軍事国家だからなあ、と思ったが、もしかすると、そうではなく、単純に24時間空港でなかっただけだたのかも知れない。空港の入り口で、警備員が指差す先には、ハングルのネオンと温泉マークがあったと記憶する。考えてみれば、多少噛み付いたが、実は親切な人たちだったんだなと今は思う。
真っ暗な空港沿いをトボトボ歩き、急遽巨大な暗い広い空間が現れ、中に入り、テントを張ったが、何故、あのとき、そこが何か分からなかったのか不明だが、やたらハエが飛んでいるなあ、と思っていたことは確かで、なかなか寝付けないまま朝を迎え、おっちゃんらにテントをつつかれたのも、あのおっちゃんは、ゴミ捨て場にテント張っていた青年のことを今も覚えているのだろうか。おっちゃんらはゴミ掃除屋さんたちで、敵意も愛嬌もなかった顔を記憶する。向こうも今考えれば、怖かったのかも知れない。テントには、バカみたいに、日本語で私の名前がカタカナで嗚呼堂々とマジックで書かれていた。
そくそくとテントをたたみ、早朝空港に入り、また、空港内のベンチで寝たことを記憶する。バンコク行きの飛行機は11時台の出発だったのだ。
どういうわけか、出発40分前までチェックインさせてくれなかったのも、今考えれば、知らない間に、オープンチケットになっていたのかも知れない。おまけに、バンコクかと思いきや、台北経由であった。
当時の地下鉄は、漢字もなかったので、ハングルか、ローマ字、ローマ字はchan chon hanと、似たようなローマ字が続き、友達の家に行くのに、地下鉄に乗っても、ずっと、路線図を眺めていたと記憶する。そして、その駅で降りて、更に、路線バスに乗ったのだが、今、いったいどうやってどう乗ったのかも記憶にはない。しかし、バス亭を降りると、友達のお父さんが迎えに来てくれたことを記憶する。おじさんは、笑顔で、当時髭を生やしている若者はいない韓国社会で、髭ぼうぼうで現れた私を、アメリカンボーイ、と何故だか言って笑ったことを記憶する。ありがたかった。感謝しつつ、でも、友達の家に連れて行ってもらうと、おじさんは、笑顔で、そして、日本語で、「オマエ、タベル?」と言われ、19歳の私は怯んだことを思い出す。
そして、何故だか、未だに記憶が定かでないのだが、どこをどう間違ったのか、友達が帰ってきた。帰ってきた。私は、アッと言った。彼も、アッと言った。日本で知り合ったはずの、彼が、あれれ、何故だか、知らない人であった。
彼も、戸惑ったが、どこでどう間違ったのか、でも、いいじゃないかと、家族の皆さん、心広い性格だったと記憶する。考えれば、学生時代は、日本でもその日知り合った野郎の家に泊まったり、泊めたりした日々だったなあ、外国人が公園でテント張ってたら、ビールを持って参戦してたなと記憶する。今は、ごみための中で、殻に閉じこもって棲息していたりなんかする。
とにかく、彼の家で、テーブルの真ん中にあるキムチの山盛りをつつきながら、御飯を食べたと記憶する。
2009年正月ポーランド・ウクライナ・ポルトガル旅行
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