今はすっかり風変わりしたようだが、ポカラ自体には特に何があるというわけではないが、カトマンドゥの喧騒から逃れ、ビールを飲みながら800メートル級の山を眺めるという快楽エリアであった。そのため、ゴア、バリウブドゥ、バラナシ、バンビエン、カオサン、フンザ、コパンガン、このあたりと並ぶ、旅行者のチンポツ地域として有名だった。今は知らない。(70年代まではカブールも有名な沈没地だった)
で何をするのかというと、木登り
ペタ湖のほとりで、おじさんと意味のない会話。(ボートで対岸にいく)
夜は、スパスパスパー(昼間もだけど)。
(参考)ヒッピー・トレイルの旅は西ヨーロッパの諸国、特にロンドンやアムステルダムといった都市を出発点とするのが典型的であった。アメリカ合衆国からの旅行者は多くアイスランド航空でルクセンブルクへと渡り、そこからイスタンブル、テヘラン、ヘラート、カブール、ペシャーワル、ラホール、デリー、ワーラーナシー(当時ベナレスと呼ばれていた)などの「主要な」場所を経由し、ゴアもしくはカトマンズを最終目的地としていた。カトマンズでは今日でもJochen Tole通りがここを通った無数のヒッピーたちを記念して「フリーク・ストリート」と呼ばれている。トルコからシリア、ヨルダン、イラク、イランと渡りそこから東進するルートもあった。南インド、スリランカ(当時セイロン)、さらに南東に進みオーストラリアにまで至るさらなる旅も行われることがあった。