何せ、オレは、多少、ボーっとしていた、何故なら、クアラルンプールはもう何回も来ているので、だいたい分かるだろうと言う油断であった。何せ来たのは20数年前に何回も来た、キたって、メシ食ったりしただけの通過で、よおく考えたら、1泊もしたことがないことに、到着してから気がついたのである、正確には、前日に気がついたのである。1箇所のメイン以外にも、時間は3,4時間は余りそうな勢いだったので、まあ、インド人外とかチャイナタウンとかブラブラするかなと思ったぐらいであったのである。それで、前日のネットで最寄り駅だけを検索したのである。駅前に、ドワーンとインド人街とかが広がっているのだと思っていたのであった。
でも駅を降りると何だか分からない。と思うと、西洋人女性がスマホネットで地図を見ている、その気なしについていく、ついていくどころか、抜かしていく。そういうと、駅すぐに、信号渡ったらマスジッドジャメ。クアラルンプールとは泥の河って意味だったと思うけど、インドも何とかプル(ウダイプルとかジャイプルとか、町って意味だったような気がする)。その泥の河が交わる、まあ、いわば、クアラルンプル発祥の地ともいうべきもの、な、のか。
もうちょっと、違う西洋人に着いていく。なんだ、こいつら政治集会に見に来たか。
異教徒もどさくさに紛れてタダでもらえる。
異教徒もどさくさに紛れてタダ近くでメロディアス・イスラミック・ポップムージックを聞ける。
聞けるのだが、どうも、オカマサン達が歌っているように見えて仕方ない。
抜けると広場だった。
お、っといったものの、コレが何の建物かわからない。(後日調査で、ムルデガ広場と連邦局建物ということらしい)
分からないが、なかなか美しく、前の道は車が遮断されていてよい感じだ。
なんだか、現地の皆さん、のんびりしている感じだ。まあ、私もまだ飛行機出発まで時間があるので、随分のんびりだ、ゆっくり飯を選択する時間もあれば、飯を選択しない時間もある。
公園で、ぼーっとしていると、ふと、昔来た1980年代のことを思い出していた。その中で、ホテルニュージャパンのことを思い出していた。東京に帰国して、旅先で知り合った東京に住む友達の家に寄って、そうだなあ、東京観光とくにないなあ、あ、火災後のニュージャパンでも行く?といって赤坂にのこのこ出かけていったのであった。乗っ取り屋チョーネクタイ横井が出てきて、客が悪いなんていって散々バッシングもされたのだが、元々料亭で2.26事件の時に青年将校が立てこもった地であり、戦後オリンピック誘致が決まった頃にニュージャパンが完成し、地下のナイトクラブで力道山が刺され、通常死ぬことがないのに、急変して変死。そして乗っ取られて1982年火災。出火元の部屋に宿泊していたイギリス人は死んだが、イギリスに送られても身元が現れず、遺体もなくなった。火災保険にこのホテルに入っていたが、チェック漏れで3日前に傷害保険が切れており、経理が気がつかず、それで賠償でも揉めた。
火災後バブルで地価はうなぎのぼり、ホクホクの買収した千代田生命はつぶれ、AIGに買収され、AIGもリーマンショックで瀕死。今は外資のプレデンシャルと森ビルが買い叩いて、プレデンシャルタワーとなったが、噂によるとプレデンシャル担当の森ビル社員が2人変死ということらしい。
singapre滞在9時間50分( リンク)
シンガポール→クアラルンプール→ブルネイ( リンク)
ブルネイ滞在記( リンク)
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ブルネイ、こんな感じ( リンク)
ブルネイ→クアラルンプール( リンク)
クアラルンプール到着 リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟、アートギャラリー1( リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟2( リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟、アートギャラリー3( リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟、ハヌマン洞窟・アートギャラリー前編( リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟、ハヌマン洞窟・アートギャラリー後編( リンク)
クアラルンプール、バツー洞窟、ハヌマン洞窟( リンク)
クアラルンプール、地図はない(リンクク)
クアラルンプール、インド人街 (リンク)
Kuala Lumpurその他観光地( リンク)
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