テーマ:娘とのひととき(70)
カテゴリ:娘とのひととき
今朝は子供会の神社清掃日。
手水場の湧き水の小川は冷たく、澄んでいる。 池の人面魚も気持ちよさそうに泳いでいたわ。 雨が多かったこの夏。 なんだか夏が短く感じたけれど、 暑い日は猛烈に暑くて、台風も短期集中型だった。 鳥居からの石畳は葉っぱや泥で汚れ、 ドデカい竹箒でワッサワッサと長刀のように掃いていく。 おかげさまで朝から既に、大汗ダクダク(^_^;)💦 帰り道。 畑の道端にカタバミが目につく。 小さなオクラのような実を沢山付けていた。 触ると中の種が弾け飛ぶのよね。 この弾け飛ぶ力は凄いなぁって思うわ。 風頼り虫頼りではなく、自力の跳躍力で次に命を繋ぐんだもの。 この繁栄力からもカタバミは家紋として用いられたのだろう。 「見ててね」と種を飛ばして見せた。 パン!パパパン!!パンパラパパパン!!!!! 弾け飛んで面白い。 『リナもやりたい!!!!!』 種が飛んで痛いと言いながらも、 大きく膨らんでいる実を選んでは 触って種ミサイル発射を楽しんでいた。 遊びを通しながら、 名前や特徴を教えていくと結構覚えるものだ。 私なんて子供の頃に友達と、 この葉っぱ酸っぱいんだよと 面白がってかじって味見したっけなぁ。 カタバミのこの葉っぱは本当に酸っぱいのよ。 スズメノテッポウのシュッと抜いた茎は スイカの味だったし(笑) 大丈夫な草、毒のある草を遊びながら あの当時の子供達は知ってたんだよなぁ… 草の実遊びもよくしたなぁ。 服にくっつくとひとつひとつ取るのが 大変で面倒なセンダングサや、 洋服に投げてくっつけるオナモミ、 ザラザラザラッと茎を袖にこすり付けて実を付けたミズヒキ。 あの頃の子供達にとって自然は遊びの宝庫だったし、 四季折々で自然の恵みからの遊び方も移ろう。 春はタンポポの人形やら タンポポの茎を裂いて水に付け クルクルにし水車にして遊んだり、 ツツジの蜜を吸ったり、レンゲの蜜も吸ったなぁ。 夏はヨモギを沢山摘んでは 石で潰して水に入れてお茶ごっこ、 笹船流したり笹飴を形作ったり、草相撲を何回もやった。 秋はくっつき虫遊びやドングリ拾い、 ススキでフクロウ作ったり、 ヤマゴボウの実を潰して絵を描いたりジュースごっこしたり、 キンモクセイの花を集めてティッシュに包んでポプリにしたり、 落ち葉集めて両親と落ち葉焚きで焼き芋したり、 冬は南天や千両の実を雪うさぎの目にしたり、 ツララを舐めたり(苦笑) 話が遠いキラキラな思い出に遡ってしまったゎ… 遊び方が豊かだったなぁ。 それが当たり前で身近な遊び方だった。 リナにはカタバミの葉っぱが酸っぱいんだよとは教えなかった(苦笑) 自然遊びに今は長けていない子供ばかりだもの。 自然児や野生児な子供はもう少ない…。 ゲームは楽しいけれど、 自然遊びはなんてったって五感を使って遊べる。 想像力が膨らみ、色々な気付きから学んでいく。 爪の中も泥やら草の汁で汚くなる。 草で手を切ったり臭い匂いがついたりして分かる事もある。 道端でしゃがんでみたら、小さな発見がいくつもある。 見えるものを見るだけじゃなく、見えたら観てみなきゃ。 触って、感じて、嗅いで、味わい、五感で覚える。 子供の頃の経験は、大人になってからの財産になる。 いっぱい笑って、いっぱい泣いて、いっぱい失敗して、 いっぱい楽しもう。 それが未来に繋がって、将来の自分を作っていくのだから。 毎日の積み重ね。 小さな幸せを積み上げていこう。 カタバミの花言葉は 『輝く心』『喜び』『母の優しさ』 キラキラ輝く心でありたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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