テーマ:社交ダンス(8651)
カテゴリ:アートのはなし
今年はレンブラントの生誕400年。
皆さんは自画像を描いたことがありますか? レンブラントは数多くの自画像を残したことで有名です。 二週間ほど前、NHKの天才画家の肖像という番組でレンブラントの特集をやっていました。 私は、絵を見るほうは大好きなんですが描く方はさっぱりで、たった1枚、13歳のときに描いた自画像が残っているだけです。 面白いなと思ったのは、写真では映し出すことの出来ない、『自分が見た自分』がそこに描かれていることです。 幼い表情の中に『私はあなたを知っている。』と言わんばかりの強い探求心が現れている気がしました。 レンブラントが自画像を描き始めたのは、表情を描く教材として一番安上がりなモデルだったからなのかもしれません。 最初の肖像画22歳のレンブラントは、影で覆われて顔の表情が見えません。 翌年23歳の肖像画は、自信に満ち誇り高い表情が見て取れます。この年、彼は世間に才能が見とめられ若くして名声を得たのです。 この23歳の肖像画には面白い逸話があります。 レンブラント作品には贋作がとても多いことでも有名ですが、オランダのハーグにある作品が本物とされて来ました。 ところが、1980年代になって赤外線写真で分析したところ、そこに下書きが存在することが分かったんです。 レンブラントは下書きをしないでいきなりカンバスに描くのが特徴の一つです。 それで、これまで偽者とされていたドイツのニュールンベルグにあるそっくりな絵が注目され、こちらを分析してみたら下書きがなかったんです。 オランダにはレンブラント作品を調査する研究所があって、絵の具の成分の年代測定、電子顕微鏡を使った断層写真検査、X線・紫外線・赤外線を使った透視写真検査などからレンブラントの描写手法の特徴と照らし合わせて真偽を調査しています。 1980年代に調査結果をまとめた百科辞典みたいな部厚い本が出版され、美術界はパニックに陥りました。 なんと、現存する282点の作品のうち122点が偽者だと分かってしまったからです。 当然価値は暴落、贋作を所蔵している美術館の信用もがた落ちだったようです。 彼の絵が評価され、富を築いていった1630年代は、ヨーロッパで最も裕福な国だったオランダ全盛の時期でした。 哲学者のデカルトもあらゆる豊かな商品が港に陸揚げされる様を心踊るものだと評しています。さらに、画家に対する愛着に関してはオランダ人に勝るものはいないといっています。 当時、裕福な家はもとより、肉屋も鍛冶屋も店先や仕事場に絵を飾りまくっていたそうで、それを聞いた大将は私に、『昔、オランダ人だったでしょう?』といいました。 レンブラント作品の特徴は、なんといっても光と影の使い方です。 番組の中で『ペリシテ人に目を潰されるサムソン』という作品をそっくりの衣装を着た役者が再現し、光の当て方でどんな効果が生まれるかという実験をやっていました。 全体に光があたるとのっぺりした絵になるんですが、レンブラント作品のように、光の当る部分と影の部分を作ると、恐怖や痛み、哀れみのような表情が強調され場面がよりドラマチックになってきます。 レンブラントの人生も、彼の絵と同様、光と影の強いコントラストで彩られていました。 妻のサスキアの死を境に次第に影の部分に落ち込んでいきます。 レンブラントハウスと言われた高級住宅も膨大な骨董品コレクションも50代にして破産し手放すことになります。 オランダがイギリスとの戦争に負けたこともあり、絵の注文も来なくなります。 しかし、彼の名声はすでにヨーロッパ中に轟いていました。 彼の晩年の作品『ユダヤの花嫁』を初めて見たゴッホは、その場に立ちすくんだと言います。 「なんと親しみのある、思いやりのこもった絵だ。これは燃えるような手で描かれた絵だ。こんな風に描くためには何度も死ななければならない。レンブラントが魔術師だと言うのは本当だ。この絵の前に座って二週間過ごせたら、ぼくは寿命が10年縮まってもいい。」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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