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カテゴリ:ニュース・社会うんちく
このノンフィクションによって被害者の女性はカリスマとなった。彼女の人柄や日常生活は多くの読者に衝撃を与えたのと同時に、特に女性読者にシンパシーをもって受け入れられることとなった。 作者が取り上げている彼女のエピソードに「逆両替え」のエピソードがある。彼女は道に落ちているビール瓶を拾って酒屋に行き、五円で換金する。その小銭を百円玉に、百円玉がたまると千円札に、そして千円がたまると一万円に両替えしていたという。このエピーソードに象徴されるように、1円単位でお金にこだわる女性であった。 お金に細かかった彼女の性格には、大学時代に一家の大黒柱である父親が亡くなったことが影響していると推測できる。一家の稼ぎ手を失い、切り詰めた生活をせねばならなかったのではないか。事件のあった当時、父親の死によって家計の負担が長女である彼女に一気にかかり、そのことが彼女の人生に過重な負荷をかけ、結果として彼女に転落の道を選ばせることになったのではないかという話もささやかれていたという。 その父親の死についてであるが、東電に勤めていた東大出の父親のことを彼女はとても尊敬していた。最愛の父親をガンで失う際、大学生だった彼女は拒食症に陥ったという。そしてその死が、彼女の人間形成に大きな影響を与えたのではないかと佐野氏は見ている。作品の最期に収録されている精神科医との対談の中でもその考察がなされている。 彼女は円山町で縦横無尽に狼藉を働いていたのと同時に、愚直なほどの働き者で、一本気な性格でもあった。 五時に会社を退社し、六時過ぎに円山町に現れ、神泉駅を十二時三十四分に出る終電車に乗り込む六時間の中で、自らに課したノルマをこなすように、毎日四人の男を相手にしていたという。客を四人見つけるまでは絶対に終電車に乗らず、客にお金がないとビルの階段下でも駐車場の物陰でも構わず利用し、そして必ず母親と妹の待つ自宅へ帰っていた。佐野氏はこれらの事実に衝撃を受けたと記しているのと同時に、「根っからの働き者」と、彼女を評している。この評はまた彼女のことを知る円山町のラブホテルの支配人の次のような言葉の中にもあった。 「それにしても彼女はえらいよ。雨の日も風の日も毎晩この街に立つんだからな。宮沢賢治だよ。それにどんなことがあっても必ず終電で帰る気力を残しているんだからね。稼いだらすぐにパッパと使うプロには絶対真似のできないことだよ」 律儀で人間らしいエピソードも紹介されている。二年間「客」としてつき合った五十代の男性には一昔前の女学生のような生真面目な文字で手紙を書き、オルゴールが内蔵されたクリスマスカードやバースデーカードを送っていたという。また、フリーでコンピューター業界の広報関係の仕事をしていた「客」のためには、仕事の参考になろうかと新聞の切抜きを集めて送ったり、節税対策のためにと、客としての一回分の料金と同額の『村さ来』の領収書を持ってきてくれたりしていた。粗相をはたらいたホテルにはワープロで詫び状を作成し配るということもあった。 円山町での伝説的なエピソードの他に、「東洋経済」主催の高橋亀吉賞で佳作を受賞した経済論文を書くなど、エコノミストとしても功績を残している。また、東電に同期入社した四年制大学卒の女性のなかで、管理職までになったのは彼女一人だけであった。 二十八歳(1985年)のころ彼女は再び拒食症に陥り、入院したことがあった。その原因について、社内のライバルとの競争に敗れたからではないかと佐野氏は推測しているが定かではない。何らかの挫折があったのではないか。1988年には東電からシンクタンクへの出向を命ぜられ、二年間の出向生活を送っている。「クラブホステス」をはじめたのもその出向時代の三十二歳(1989年)ごろと言われ、それまでハイレベルな経済論文を発表をしていたものが、ピタリとなくなった。売春生活がはじまったのもこのころで、「クラブ」とは風俗関係の店のことを指していると佐野氏は指摘している。そしてこの出向時代に受けた何らかのトラウマがその後の生活に大きく作用しているのではなないかと氏は推測し、「クラブホステス」から「ホテトル嬢」へ、そして立ちんぼの夜鷹へという転落のコースは、彼女にとって年齢との闘いの軌跡でもあったのだろうと記している。 物語が終盤に近づいた、第四部の第五章 拒食 を読んでいて、自分はあふれる涙を止めることが出来なかった。帰りの電車の中で立ちながら読んでいたのだが、高校から大学時代にかけての友人の証言に、ボロボロと涙が止まらず、どうすることも出来なかった。 「彼女とは高一で同じクラスになりました。慶応の女子高は中等部からあがってくる人が約半分、公立中など外から受験してきた人が半分で、私も彼女も公立中組だったので、親近感をもちました。ふっくらして背が高いなあ、というのが第一印象でした。公立中学出身者らしい生真面目さにも、私と同類の人だなと、好印象をもちました。真面目でしたが、とっつきは決死て悪くなく、この人となら話せると思いました。 成績はいつもトップクラスでした。そういえば女子高を受けたとき、風邪で三十八度何分かの熱を出し、前の晩は一睡もできなかったけど全然大丈夫だった、といっていました。中学時代は走るのも速かったそうです。身長も百六十五センチくらいあり、積極的に発言もするし、勉強もよくできるという学級委員タイプでした。~」 「お父さまが闘病していることは誰にもいわなかったと思います。お父さまが死んだことは私もあとになってから聞きました。しばらくしてお悔やみをいったところ、母はお嬢さん育ちだし、妹はまだ幼いので、これからは私が一家の大黒柱となって、この家を支えていかなければならない、といったのも印象に残っています。そのとき彼女はきっと生涯お嫁さんにいかないんじゃないか、と思いました」 このブログを書くため、電車の中で本を読み返しながら彼女のことを思い、知らぬ間に涙が出ていることも多かった。その涙は自分の兄弟や親しい友人に対するような感情なのかもしれないし、人として可哀そうという同情に近い感情なのかもしれない。彼女の孤独と求道的な姿勢に対するシンパシーであるのかもしれない。 円山町でたった一人で客を探し続け、駐車場でもビルの階段下でもいとわず、最期にはアパートの空き室で殺されることとなった彼女の孤独に対してなのか、職場に行けば毎日同僚や部下と顔をあわせ、家に帰れば母親と妹がいたとしても、救われることがなかった彼女の孤独に対してなのか・・・。 彼女について、病んでいたのだから、そういう性分だったのだから仕方がないという意見を見かけることがある。なるほど、そういった面もあったのだろう。しかし知りたいのは、何故彼女がそういった性分になってしまったのかということであって、そこには少なからず、この社会、~現代日本社会のありようが反映されているのではないかと思わざるおえない。それ故に彼女の孤独は多くの女性読者からシンパシーをもって受け入れられ、彼女らの想いを代弁した悲劇のヒロインとして、そしてこの理不尽な社会の殉教者として、多くの人の心を捉えて離さないのではないかと思う。 売春に限らず、危険のある仕事は他にもたくさんあり、そんな危険のある仕事に従事せねばならないのは何も本人の意思ばかりではなく、選ばざるおえない社会的・経済的背景があることは言うまでもない。そしてまたいくら女性が強くなったと言われても、男性と比較して女性が社会的に弱い立場にあり、オトコ中心社会というのが現実の姿であって、女性が一人で生きて行くためには精神的にも経済的にも厳しいこの社会である。それに加えて表でも裏でも、年齢が高くなるにつれて可能性が閉じられていく年齢差別の社会でもある。会社の中でも、そして男性相手の仕事の中でも、年齢を重ねるにつれ、自分自身の価値がどんどん下がっていき、居場所がなくなっていくことを彼女は痛いほど感じていたのではなかったか。そんな逆風にどこまでも歯をくいしばり、必死で立ち向かっていくかのような彼女の姿が、同じプレッシャーの中で生きている多くの女性読者にシンパシーを与え、最期には命を失うこととなってしまったその悲劇に、自分を含め多くの読者が涙を流すこととなったのではないかと思う。 人間として彼女がもっと賢ければ、円山町の空きアパートの一室で命を失うこともなかったであろう。しかしその一方で、どうしようもないぐらいのその愚直さが、多くの人の心に何かしらを残したことは間違いない。 自分は被害者の女性にはもちろん会ったこともなく、事件から10年近く経った今、たまたま本を通してよく知るようになっただけの存在だ。しかし来年三月の彼女の命日には円山町におもむき、道玄坂地蔵に花をたむけようと思っている。自然にそうしたい気持ちだ。自分の親族以外で亡き人をいたわりたいなどと思ったのははじめてのことかもしれない。佐野氏のこの作品を読み、彼女のことをあれこれと考えてきて、どうやらいつの間にか自分の心の中にも彼女の存在があるようだ。この『東電OL殺人事件』がノンフィクションの金字塔と評される一番の理由はそういったところにあるのかもしれない。 ・・・と、ここまで書いておきながら、そう簡単にはまとめられないことに愕然としている。彼女の経歴を時系列で追っていけば大枠は想像がつき、つじつまが合うのだが、東電に戻ってから亡くなるまでの数年間の謎は深まるばかりだ。 出向を終えた後、彼女は東電に戻り、経済調査室副長という管理職に就いた。それ以降、売春生活に拍車がかかり、円山町の街角に立って大っぴらに客を引きはじめることとなる。最期はたったの二千円でも客をとっていた・・・。 「巨大なピースがはめこまれないまま未完成に終わったジグソーバズル」と佐野氏が最期に喩えたように、今、氏と同じような気持ちにさせられている自分に気づく。 彼女の「心の闇」についての続き、そしてこの事件をめぐる雑多なことについて次回以降書いていく。 ●自ブログリンク:佐野眞一『東電OL殺人事件』(1) ●自ブログリンク:きっかけ ●自ブログリンク:渋谷・円山町 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[ニュース・社会うんちく] カテゴリの最新記事
いつも以上に力の入った日記ですね。N郎さんのこだわりと情熱が伝わって来ます。
私も彼女に感情移入してしまいました。とても真面目で家族思いで責任感の強い方だったのですね。 そうでないひともいますが、一般的に女性が愛情抜きでの肉体関係をもつということは、心がすりへっていくようです。自傷行為をしてしまいつつ、心のジレンマも相当だったことでしょう。 本人のことは本人しか知るすべが有りませんが、すこしでも彼女がこの世に生をうけて、よかったなあと思える時期があってほしいとおもうばかりです。 (2006/09/25 02:21:33 PM)
家のPCが自由に使えず専ら携帯です。最近携帯によるアクセスがあったら多分私です。何度もすみません。よく掘り下げて考えていらして、登場人物一人一人についても感情を持って書いていますね。いったいどんな人だったんだろう......何かが起きると必ず最初に発せられる言動。「まさか?」「やはり!」...どんな人にも両面は必ずありますよね。家庭環境や考え方、受けた教育が似ている人はいても決して同じ人は存在しない。だから、人生の全てにおいて彼女と同じ経験をした人がいない限り真実は明かされることはないでしょう。
ただ、何を思い何を感じて生きていた人なのかを考え、人としての平均寿命さえもまっとう出来なかった彼女の人生や、家族のために海を渡り働きに来た人が遭遇してしまった予定外の人生を深く思うことはとても大切な事だと思います。何故報道するのか、マスコミはただ世間に出来事を知らせるだけの機関ではないはずです。 事件は知っていましたが本はまだ読んでいません。ブログを書く意味、意義や自己啓発など書いていろいろな意見を集めるのは面白いですね。 今は子供に振り回され夕方にはクタクタな毎日なので、こうして読ませていただいているだけで参加している気分です。今日はラッキーな事に子供の用事が入り、つかの間の自由人。ネットカフェです。 何ですかそれは?と思われるかも知れませんがやっぱり思うことなので、もう一言。 彼女、この年まで生きてきて好きな人のひとりくらいいたでしょう。たとえ恋人と呼べるところまでいかなかったとしても、周りの女性たちを見て心が沈む夜もあったと思います。仕事や家庭の悩みだけでなく、愛する人を思いながら生きていて悩み苦しんでいた人生であって欲しいと思います。男の人は「ここまでの学歴の人がそんな?」などと思うかも知れませんが、私はそんな彼女でいて欲しいと思います。 長く書いてすみません。 (2006/09/25 03:41:46 PM)
う~ん...凄くコメントに悩みます。
多分この本を読む前に、N郎♪さんの記事を読んだことは、凄くおもしろくなったのではないかと。読んでいく中でのポイントを、N郎♪さんに教わったので、逆に、これから読む私は楽をしてしまいましたね・・・でも読んでいく中で絶対考えてしまうところをとっても丁寧に分かりやすく、うまくおさえていただきました。 凄く、彼女のメンタル的な部分に惹かれる・・・というか異常に興味が沸きました。これはあくまでも想像ですが、もしかしたら彼女の心の闇の部分で自分と凄く共感してしまう部分が多々出てきそうな気がしています。不思議な気持ちです。 まだ私自身は本自体を読んでもいないのに、がーっと心を捉えられた本に出会ったのは初めてかもしれません。 それにしても、お忙しい中で、こんなに長々と興味深い記事を書いて下さって、どうもありがとうございます。昼夜問わず、すっかり、楽しませていただいています。。。無理されませんように。。。でも楽しみは楽しみなのですが....*^ー^ (2006/09/26 12:31:44 AM)
なんか泣けてきました。
彼女にいろんな背景があっての、不可解な行動。 N朗♪さんの文章力にも関心しました。 本を読まなくても、かなり感情移入してしまいました。命日はわかりませんが、私もそっと手を合わせたい気持ちです。 (2006/09/26 12:38:05 AM)
haruちゃんこんばんわ
>とても真面目で家族思いで これですが、確かにそうなのかもしれませんが、必ずしもそうではなく、もっと深く複雑な事情があったようです。それについては佐野氏の著書を是非読まれて下さい。続編『東電OL症候群』とともに。 自傷行為について、続編『東電OL症候群』で精神科医の斎藤学氏も指摘しておりました。斎藤学氏のブログは多分以下ではないかと思いますので、興味がありましたら参照してみて下さい。 http://www.iff.co.jp/saito/index.html 心がすりへるという指摘、グサリときました。女性じゃないと見えない視点だと思います。引き続きコメント、どうぞ宜しくお願い致します。 (2006/09/26 01:19:49 AM)
akiさんはじめまして(でいいんでしたっけ?)
長文のコメント、ありがとうございました。思うところを書いていただき感謝しております。長文のコメント大歓迎です。 >何故報道するのか、マスコミはただ世間に出来事 >を知らせるだけの機関ではないはずです。 これについておっしゃるとおりだと思います。この事件についてのメディアとプライバシーの問題にからめ、ジャーナリズムのあり方について、以降書こうと思っていました。 >彼女、この年まで生きてきて好きな人のひとりく >らいいたでしょう。 この指摘、さすが同性だと思いました。佐野氏の視点はこういった視点が若干弱い気がします。自分を含め、やはり男性には見えない視点があり、そういった意味でも女性の視点は重要だと思っています。 引き続きこの話題、書いていきますので、是非またコメントお願い致します。 (2006/09/26 01:33:16 AM)
mocotaちゃん
>う~ん...凄くコメントに悩みます。 いや、悩まなくていいんです。直感で。いいことも悪いことも多様な見方があって、そのどれもが真理を突いてるんじゃないかって思ってます。 佐野氏のこの本は是非読んでみて下さい。多分この本をあと10年して読んでみたとき、また違った見方ができるんじゃないかって思います。 >もしかしたら彼女の心の闇の部分で自分と凄く >共感してしまう部分が多々出てきそうな気がし >ています。 mocotaちゃんの「心の闇」とはビミョーに違うような気もしますが・・・・俺が判断することじゃないですね(笑) >それにしても、お忙しい中で、こんなに長々と 自分で書いていて長すぎる~って思うんですが、ただ文書ってまとまりだから、やむおえず。 (2006/09/26 01:49:40 AM)
purupuru7027さん
>なんか泣けてきました。 続編『東電OL症候群』の中で、『東電OL殺人事件』を読んだ読者からの声を紹介している部分があるのですが、哀しみで一杯とか、涙が止まらないとか、そういった多くの女性読者の声が掲載されているので、機会がありましたら是非読まれて見て下さい。 >命日はわかりませんが、私もそっと手を合わせたい気持ちです。 彼女の命日は三月八日になると思います。彼女の死に、涙を流してくれる人がいるというだけで、きっと彼女の霊も報われるんじゃないかと思います。 (2006/09/26 02:06:16 AM)
chabo48さんこんばんわ。
佐野氏の著書の中にも似たような視点があります。まったく同じではないですが、社会の風潮に対してまるで彼女は挑戦的でもあったかのような視点です。 彼女は車が通っていなければ赤信号でも無視して横断歩道を渡るような、そんな自らの判断と意思に従って行動する強さもあったと思います。 今日の渋谷は雨でした。帰りに気になって雨の中、文化村方面から道玄坂地蔵を経由し、神泉駅まで歩いてみました。ひどい雨でしたが、やはり道玄坂地蔵に手を合わせて拝んでいる女性を見かけました。いまだに感慨深い場所です。 (2006/09/27 12:55:05 AM)
先日はコメントにコメントしてくださりありがとうございました。読めば読むほど思うことがあるのでまた書かせてください。
大学の時に時事問題を取り上げてテーマに沿ってディスカッションするサークルにいたので、この記事はとても興味があります。仲間の一人は新聞社に就職して東京へ行きました。 羨ましいです。が、私は今は育児に専念です。 私も現場を歩いてみたいです。この看板を見て何を思ったのだろう、この駅のどのあたりで電車を待っていたのだろう等と、次々と考えてしまいますね。 被害者が女性だったから殺されたのか? 男性だったら?その外国人は冤罪で苦しむことはなかったのか? 彼女は以前から狙われていたのか? 何かに突き動かされ呼吸しているだけの日々を本当は終わりにしたくて、これで楽になれると無抵抗の最後だったのではないか? 書店でこの本を見ました。 カバーの裏に被害者が毎日繰り返していた「・・・・しませんか?5千円です。」の言葉が掲載されていました。帰宅後、何度かつぶやいてみようと試みましたが声に出しては言えませんでした。 主人は仕事ですし、子供は昼寝中なので絶対に聞く耳など無いとわかっていても口には出せない。 日ごろ軽々しく会話にできる人たちでさえ、初めて言う時には躊躇していたはずです。 被害者をそんなところにまで追い込む何かを「心の闇」と呼ぶのなら、それは本人でさえ入り口が何処でいつだったか、もうそんな事どうでもいい所まで進んでしまっていたのではないでしょうか。 本を購入するときっと家事育児に支障が起きるので残念ながら諦めました。 まだまだこの件について書かれるとのことですので、もう暫くは携帯で読書させていただきます。 (2006/10/03 01:00:08 PM)
akiさん、再度のコメントありがとうございます。いろいろと考えさせられます。
>私も現場を歩いてみたいです。 自分も同じように思った一人なんですが、この事件を知り、現場を歩いてみたいと多くの人が思うようです。何故これほどまでに惹き付けられるのか・・・・円山町という街自体の吸引力というのもあると思いますが、被害者の女性がこの町を歩いていたという、そういった場所への憧憬というか、それに近いような感情もあるのかもしれませんね。もう彼女はこの世にいないとわかっていながら、ひょっとしたら彼女の影に会えるかもしれないという、そんな論理を超えたところでの期待もあるのかもしれません。 それにしてもこれだけ人を惹きつけてやまない事件というのも他にないと思います。多くの人が惹きつけられていくそのメカニズムを解明したいって思います。そこにはきっと、誰の心にもある人間として普遍的な何かを見つけることが出来るんではないでしょうか。 >それは本人でさえ入り口が何処でいつだった >か、もうそんな事どうでもいい所まで進んで >しまっていたのではないでしょうか。 それを考えると、多くの人が同じように、自分自身のことを顧みて、今どうしてこんなことをしてるんだろうかとか、こんなはずではなかったとか、そんなことを思いながら日々をやり過ごしているのかもしれませんね。 >本を購入するときっと家事育児に支障が起き >るので残念ながら諦めました。 しばらくは頭の中がそのことで埋め尽くされるかとは思いますが、でも、続編とともに是非読まれることをおススメします。多くの人が自分と同じように考え、日々を生きてるんだなって気がつくんではないでしょうか。 続きは折を見て書いていこうと思います。このようなコメントで意見をやりとりすることも重要で意義あることだと思っていますので、是非またよしくお願い致します。 (2006/10/05 02:29:53 AM) |
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