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テーマ:大阪城(7)
カテゴリ:旅行、海、お散歩
年の暮れにはまだ少し早いですが、今年の締めくくりに
2011年に復興80周年になる大阪城天守閣を。 今回紹介するのは裏大阪城。勝手にそう呼んでいます。 年配の方はご存知の方も多いのでしょうが、大阪城内とその周辺には軍事施設があります。 お城の中にそんな施設がある所も珍しいと思います。 京阪線に乗っていていると赤レンガ造りの建物が大阪城の手前に見える。 以前から何の建物だろうと気になってました。 ここは大阪城からだと木々で隠れて全く見えないのですが、天満橋側から寝屋川に架かる 陸橋を渡って大阪城の方に行かない限り、ひっそりと佇んでいて気付きません。 『大阪陸軍造兵廠科学分析場』(元自衛隊大阪地方連絡部) 『大阪砲兵工廠正門跡』(筋鉄門跡(すじがねもんあと)) 元和6年(1620年)徳川幕府による大阪城再築工事により築かれ、砲兵工廠の正門として 現在は左右の石組のみ残っている。(大阪城三の丸地区) 兵器・兵器材料の保管・修理等を担当する部署だったそう。 大阪陸軍造兵廠は、東洋一の兵器工場で、戦争末期には64,000人(強制連行された 1,300人の朝鮮青年含む)の人が働いていたそうです。 が、強烈な爆撃で壊滅し、科学分析場などの一部の施設が残っているそうです。 大阪城内にも赤レンガの壁がひっそりと佇んでいます。 『大阪城公園城内詰所』 元々は「大阪陸軍兵器補給廠」だとか「大阪陸軍刑務所」との2説があるようです。 上から見るとプレハブの建物が何軒か建っており、昔の物ではないようです。 昔、警報や案内のアナウンスが流れたであろう、古そうな拡声器?が壁沿いに見られます。 皆、西の丸庭園の方に気が行くので目立ちません。 西の丸庭園にも「大阪陸軍兵器支廠」の倉庫等が多数あったらしいですがその痕跡もなく、 今では想像もつきません。 「防空壕跡」 今でも謎の空堀にあります。 『第四師団司令部庁舎』(現・大阪市立博物館) 軍事施設として大阪市内で現存している最も規模の大きな建物です。 1928年(昭和3年)の昭和天皇御大典記念の一環事業として1931年(昭和6年)竣工 1940年(昭和15年)に中部軍管区司令部となり、戦後は米軍に接収されました。 裏側に回ると、窓の一部がステンドガラスになっているのがわかります。 『機銃掃射による弾痕あと』 1t爆弾によって石垣がずれてます。 そして「大阪城ホール」がある場所は、かつて「大阪砲兵工廠本館」だったそうで、 戦前には重要な軍事施設が多数あったそうです。 「大阪城ホール」の川沿いには「大阪砲兵工廠荷揚門跡」が今も遺されています。 コンクリート壁で埋めてるのかと思ったら、どうやら抜けれそうな感じです。 まぁ、抜けれた所で陸からは川だし今は意味ないのですが… 広島原爆投下の際、大阪も候補に上がっていた理由がわかる気がしました。 以下は大阪城の戦跡には関係ありませんが、大阪城を紹介したものです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年12月28日 20時43分46秒
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