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2017年11月02日
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カテゴリ:旅行、海、お散歩
食後は真鶴半島巡り。まずは漁港の近くから巡ります。
​​漁協から歩数十秒。【(しとど)の窟】​​
 
治承4年(1180年)石橋山の合戦で平家に敗れた源頼朝は箱根山中や
湯河原の『しとどの窟』​と経て、最後は真鶴の【しとどの窟】に身を隠しました。
 
頼朝が窟に逃げ込んだ際に、追っ手が窟を覗くと「シトト」と言われる鳥(ホオジロの一種)
が急に飛び出してきたので、人影がないとして追っ手が立ち去ったことからこの名が付いた
と言われています。
  
確かに、そんなに奥深くはないが、ライトを当てると当てないとでは全く見え方が違う。

この窟(いわや)近くに「鵐窟観音」が祀られていました。
 
当時の窟は、海に面していたが、大正関東地震による土地の隆起で現在の高さになったそうです。
見えにくいですが、鵐窟観音の横に当時の海辺の写真も飾られています。

<真鶴 三名字の由来>
頼朝がしとどの窟に身を隠した際に手助けをした功として
木の枝で入口を隠した者・・・「青木」
食料の手配をした者・・・「五味(ごみ)」
追っ手から頼朝を守るための見張り役をした者・・・「御守(おんもり)」
という姓を与えたという言い伝えがあります。

今も真鶴には青木さんが多いそうです。勉強になるなぁ~。
​​
次は真鶴漁協から数分の場所にある【貴船(きね)神社】​​
 
平安時代、寛平元年(889年)創建。当時は「貴宮(きのみや)大明神」と呼ばれた。
明治初年 「貴船神社」と改称。

毎年7月に行われる「日本三船祭り」の一つ神輿の海上渡御(とぎょ)の神事
「貴船神社の船祭り」は国の重要無形民俗文化財指定。
   

「厄除厄祓門(やくよけやくはらいもん)」があったのでくぐりました。
  
人形(ひとがた)にくりぬかれた門が印象的。
くぐった先にある「心願成就石」に手を添え「心の願い」を祈念して厄除。
  
色々と展示物もあり、見所のある神社でした。
ちなみに、京都の貴船(きね)神社とは何の関係もないようです。





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Last updated  2017年11月03日 20時03分37秒
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