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カテゴリ:旅行、海、お散歩
そろそろ紫陽花の花があちこちで咲き始め、各地のニュースをよく目にします。 今年は新型コロナウイルス感染拡大予防の為、あまり遠出はできないなぁ~。 と思い、近場でないか探してみた。 富士宮市は、山を切り崩して開発した為、山超えしないと住宅地に行けない立地が多く、 山をぐるりと大回りしないと反対側に行けないので、今回のウイルス感染対策には もってこい。(郊外は) 本日のランチ時ついでに、向かったのは富士宮市郊外にある 山に面した お寺と神社。 『大悟庵』と『倭文(しどり)神社』 【明星山 大悟庵】 門 奥の廃車置き場がとても気になるが、それはさておき、予想通り人が居ない。 そぐそばに咲くユリの花に蝶と蜂が仲良く留まっていた。 ここは知る人ぞ知るひっそりとした「アジサイの名所」 境内周りは紫陽花の花が沢山咲き乱れていて見事です。 いいすぎかな。贅沢言うともう少し咲いてほしいかな。(笑) 一つの木から2種類?? 蜂が蜜を求めて潜っています。 花びらがひらひらフリルで可愛い。 階段を上がると【観音堂】 「ご本尊」 弘法大使ゆかりの布観音で、厨子の中に?安置されており、 毎年3月に白布に墨で描かれた十一面観世音菩薩の御開帳行われる。 約70年ごとに書き改められているそうです。 観音堂の灯篭と小祠は寛文12年(1672年)のもの。 祠の中には仏様も何もなかった。 「元格地大悟庵御朱印地ノ図」 石には 境内山林地・・・ 御朱印地九名 六万九千二百石・・・ 寛政三年・・・ (・・・ は読めない箇所) 観音霊場御札所 一国 二十七番、横道 二十番 「開創」 弘仁三年 弘法大使によって創建。「福興寺」と命名。 「改宗」 元亀二年 両月禅師により曹洞宗に改め「大悟庵」と改名。 「御朱印」 天正十八年秀吉より上図五万坪を境内地として賜う 「鎮守」 元禄14年10月16日 当山七代 舜雄代 明星山より倭文神社を境内に遷宮。 明治3年 神社側へ移管。 と記されている。 【大悟庵】 奥には石のお地蔵さんがいて、歴代のお坊さん達のお墓を見守っています。 横からだと、本当は奥に富士山が見える位置なのだが、今日は曇で見えない。 お地蔵様らしくないお顔に、座り方も立膝に手を置いた格好。 【倭文(しどり)神社】 倭文 → 絶対「しどり」って読めないですよね~。 延喜式神明帳にある式内社。富士郡三座(*)の一つ。 日本最古唯一の織物、製紙の神である健羽雷神を奉斎する神社。 祭神:健羽雷神 後ろに回ると、神様。は、木? 榊のようだ。 こちらの鳥居は、東宮殿下御成婚記念の大正十三年一月二十六日 に建てられたようです。 神社の手水舎の水鉢は、1937年太平洋戦争出征の際、青年8名が奉納した水鉢。 水鉢に奉納された方の名前が刻まれています。 (*)富士郡三座・・・富士山本宮浅間大社、倭文神社、富知神社 or 富知六所浅間神社
こちらのお寺は、最初の門を入ると「観音堂」、左隣に「倭文神社」、一番奥に「大悟庵」 となっていて、倭文神社の隣が住職の居宅となっているので、民家と間違い、 一番奥のお寺を見逃しがちです。 行かれる方はお見逃しなく。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年06月12日 19時01分21秒
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