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カテゴリ:旅行、海、お散歩
軽井沢を後にし、朝から向かうのは ず~っと行きたかった 重文のある『碓氷峠』 曇りから雨模様のお天気ですが、写真を撮るのに逆光の心配もなくちょうど良いお天気(?)。 軽井沢~坂本宿まで183ものカーブ数のある難所。 めがね橋へ向かう途中に線路やトンネルがすぐ側に見え、テンションが高鳴る。 ちょうど「カーブ126」の場所で停まれそうだったので、ちょろっと見学。 ずっと上の方を走っていると思っていたので、こんな真横で見れるとは思わなかった。 ここは正規の見学ルートではないので、写真だけ撮って早々に移動。路駐だしね。 「旧熊ノ平」駅は、元気だったら立ち寄ってたかもしれないが、昨日から筋肉痛。 元気な方や鉄道好きの方は駅舎があるようですので、ぜひ見学を! 雨も降ってきそうだし、ここはスルーして【碓氷第3橋梁(めがね橋)】重文へ。 ずっとここへ来たかった4連アーチ式の鉄道橋。カメラでは3連がやっと。 上へ上れるのが嬉しい。しかし、山ヒル注意! 一応6月~9月頃らしいけど。 上には、マムシ、スズメバチ、熊(年に2~3回目撃)注意。カモシカやサルはラッキーと。 熊ノ平 から第3橋梁へと続くトンネル(6号トンネル) 結構なカーブです。 26のトンネルと18の橋梁があり、長いトンネルには蒸気機関車の煙を防ぐ(?)ため 長いトンネルにはトンネルにカーテンを引くトンネル番が働いていました。 カーテンを引いて空気の流れを止め、煙を入口付近に吸い寄せます。(後ろに機関車部分) その名残でしょうか?暗くて判り辛いですが、左端の部分。 【碓氷第3橋梁(めがね橋)】日本近代化遺産第一号、重文 を橋の横の登山道(?)から。 (5号トンネル)内は明るいです。 設計者:イギリス人:パゥネル 技師、日本人:古川晴一 技師 構 造:煉瓦造、アーチ橋(径間数 4、長さ 87.7m) 建 設:明治24年(1891年)~明治26年(1893年) 勾 配:66.7/1000(国鉄最急こう配) 作製時間:7ヶ月 使用煉瓦数:202万8000個 と言われています。 碓氷の急坂を整備し、新国道が造られたのは明治17年(1884年)のこと。 明治21年(1888年) 鉄道馬車が運行 明治26年(1893年) アプト式蒸気機関車による鉄道が完成、開通。 明治45年(1912年) ドイツ式電気機関車が導入。 わが国初の鉄道電化の実現。 大正15年(年) 5月まで蒸気機関車と電気機関車との併用が続けられた。 昭和38年(1963年) 廃止 橋の下には一級河川の 碓氷川 が流れていました。 国の重要文化財にも関わらず、落書きが多く、けしからん!! ここへ来た日付?と名前を彫ってる方が多い!! ヒドイ!! 逐一アップにして掲載してやろうかっ!と思うほど。 「碓氷峠関連ニュース」 <廃線・碓氷峠のレール切断 盗難被害はなし 群馬 毎日新聞2019年2月8日> <花柳幻舟さん、転落して死亡か 群馬・安中のめがね橋 朝日新聞 2019年3月1日> <国重文トンネルの落書き消し作業始まる 碓氷峠 毎日新聞2019年7月26日> ありがたいですね。見学の際、こんな落書きがあったら悲しすぎる。テンション下がるわ。 <国重要文化財に落書き疑い、41歳男を逮捕 群馬 - 産経ニュース 2020年6月10日> ニュースも ろくなニュースがなく、悲しい・・・。 でも、煉瓦好きにはたまらないスポットでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020年11月10日 18時17分55秒
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